LinkedInのプロフィールに、Midoriのツールチームに2007年から2013年11月まで在籍したとあるDavid Tarditi氏は、Midoriの歴史について若干触れている。
「私はMidoriプロジェクトのツールチームを率いており、4人から多数のメンバーが在籍するチームを引き受けていた。Midoriは完全にC#で書かれたオペレーティングシステムで、実用されているオペレーティングシステムと同水準の性能を達成しながら、CやC++で書かれたOSに見られるセキュリティや信頼性の問題をなくしたものだ。このチームは、製品品質水準のシステムソフトウェアをC#で記述するのに使用できるようにするため、Singularityプロジェクトで使用されていたBartokコンパイラの開発を続けていた。われわれはジェネリクス、共有ライブラリ、ライブラリ間でのジェネリック共有コード、およびその他システムプログラミングのためのクールな機能のサポートを追加した。また、BartokをPhoenixコンパイラインフラと連結し、Phoenixで生成されるコードの全体的な品質を劇的に向上させることで、SPECベンチマークでも実用されているC/C++コンパイラと同水準の性能を達成し、マネージドコードの最適化を広範囲にわたりサポートした」
(M#は、Midoriチームのコンパイラに関する取り組みから生まれた言語だ)
Microsoftの情報を追いかけているThe Walking Cat氏(ツイッターユーザーh0x0d氏)は、何年もの間、Midoriチームのメンバーの多くがMicrosoftを離れたことを伝えてきている。同プロジェクトが現在のオペレーティングシステムグループ傘下に移管された後は、さらに多くのメンバーが(退社まではしないまでも)チームを去っている。2015年には、Eric Rudder氏もMicrosoftを退社している。情報筋によれば、同氏はMidoriプロジェクトのエグゼクティブチャンピオンだった。
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Microsoftの方針は、オペレーティングシステムグループやその他のチームが、次に作るものにMidoriから学んだ知見を反映させるというものだ。
筆者のようなMicrosoftウォッチャーには、同社がMidoriで最終的に何を目指していたのかはずっと謎だった。Duffy氏のブログを読む限り、Midoriプロジェクトのチームメンバーにもそれほど確信はなかったようだ。
「これを認めるのは私が最初だろうが、われわれ自身、Midoriが最終的にどうなるかは誰も知らなかった。しかしこれは、研究活動にはよくあることだ」とDuffy氏は述べている。
さらに、「最大の後悔は、最初からMidoriをOSS化(オープンソース化)しなかったことだ。そうしておけば、インターネットの実力社会によって、各ピースの価値が正当に評価されただろう」と同氏は付け加えている。「大企業にはよくあることだが、Midoriのコア技術の行く末に関する判断は、テクノロジの観点からのみ下されたものではないし、残念なことに、ビジネスの観点からのみ下されたものでもない。しかしそこでは、重要な知見も得られた」(Duffy氏)
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。