Separated And Not Equal

八田真行(Masayuki Hatta) 2005-07-21 05:14:27

フリー(自由な、リブレ)ソフトウェアとオープンソースはどこが違うのだ、と聞かれることがある。単純なようで、なかなかひとくちには答えにくい質問だ。今回はこの問題に挑戦してみよう。

とりあえず、ソースコードの公開の有無や自由な再頒布の保証など、両者の具体的内容を比較し始めると混乱する。というのも、今のところ両者ともそういった「ソフトウェアにおける自由」の内実についてはほぼ一致していて、大した差はないからだ(フリーソフトウェアの定義オープンソースの定義を見比べてみると良い)。また、ライセンシングにおいてコピーレフトを主張するとフリーソフトウェアで、そうでないとオープンソースだと考えている人がたまにいるが、これは正しくない。FSFはBSDなどコピーレフトを主張しないフリーソフトウェア・ライセンスの存在を明確に認めており、また、GNU GPLなどFSF 由来のライセンスでなくともコピーレフトを主張するオープンソース・ライセンスはいくつか存在する(IBMのCPLなどがそうだ)。そもそも、オープンソースはフリーソフトウェアをモデルにして生まれたのだから、このあたりの目に見えやすい部分は似通っていて当然だろう。ではどこが違うのか。発想である。

FSFの公式見解も宣う通り、一切の留保抜きで、とにかくソフトウェアは自由であるべきだ、と考えるのがフリーソフトウェアである。そして、ソフトウェアを自由にしたほうがこれこれこういう理由で便利だ、だからそういう場合はオープンソースにしよう、と考えるのがオープンソースだ。言い換えれば、フリーソフトウェアは倫理的な規範であり、オープンソースは功利主義的な判断だとも言える。もっと端的に言うと、たとえばクローズド/非フリーなソフトウェア(この世界のジャーゴンとして「プロプライエタリ」あるいは「独占的」と呼ぶことが多い)で自分が必要とする仕事が十分こなせる場合、それでよしとして利用し続けてしまうのがオープンソースで、それでもなおフリーな代替品の開発に勤しむのがフリーソフトウェアである。あるいは、機能的に多少劣っていたとしても、フリーな選択肢をあえて選び、開発にコミットするのがフリーソフトウェアである。このような、発想あるいは姿勢の違いが両者を隔てていると私は考える。

といっても、実際にはこんなに明確な線引きができるはずもなく、両者の関係にはあいまいな点が多くあり、必ずしも首尾一貫していない。例えば、フリーソフトウェアにオープンソース的な発想が元々内在していなかったかと言えば、そんなことはない。いくら便利と言っても、プロプライエタリなソフトウェアにはスパイウェアのような有害なコードが混入している危険性が(いくらか)あり、そもそも中で何をどう処理しているか分からないのはなんとなく気持ちが悪い。また、プロプライエタリなソフトウェアは将来突然サポートが打ち切られてしまい、その際ユーザにはどうしようもない可能性が(多少)ある。こうした感覚を「便利さ」を秤量する際に重視すれば、オープンソース的な功利主義的発想の範疇にフリーソフトウェアを回収することも不可能ではない。また、本気でフリーソフトウェアの発想を貫徹するつもりならば、当然コピーレフトも貫徹すべきであるが、一般にフリーソフトウェアの総元締と目されるGNU プロジェクトでさえ、そこまではできていない。等々。

現在はどちらの支持者のほうが多いのだろうか。最近になって、SourceForgeを利用しているオープンソース開発者を対象としたアンケートの結果が出ているが(Lakhani and Wolf, 2005)、フリーソフトウェア/オープンソースに貢献する動機の上位三つの内にフリーソフトウェア的な発想のステートメント(「ソースコードはオープンにすべきだと信じているから」「フリーソフトウェアに恩義があるから」など) を入れた人は約3割いたらしい。それ以外はオープンソース派とすれば、オープンソース対フリーソフトウェアで7:3、ないし8:2といったところだろう。直感的にもまあそんなものかなと思う。フリーソフトウェアは今や少数派なのだ。

といいつつ、私は、一個人としては一貫してフリーソフトウェアを支持している。ゆえに、現在のように「オープンソース」ばかりがもてはやされ、猖獗を極める状況というのは何となく面白くないのだが(そのくせ「オープンソース考現学」などという連載を持たせていただいているのだから鉄面皮の謗りは免れないけれど)、根がいい加減な人間ゆえあまりうるさいことは言わないことにしている。客観的にはオープンソース派で、心情はフリーソフトウェア派、といった程度の代物である。こういった「隠れフリーソフトウェア派」は、そもそも「オープンソース」という用語を考案した張本人のブルース・ペレンス (Bruce Perens)を含め、結構いるようだ。

いずれにせよ、フリーソフトウェアの20年以上にも及ぶ悪戦苦闘が無ければ、オープンソースが存在し得なかったのは言うまでもない(もちろん、オープンソースの華々しいキャンペーンがなければフリーソフトウェアも立ち消えになっていた可能性は否定できない)。また、オープンソースが、本当にフリーソフトウェア的なある種の精神性抜きで一人立ちできるのかどうかは、正直私は自信がない。人は、単に楽しくて自分の得になるというだけで本当にオープンソースにコミットするのだろうか。便利ならばクローズドで良い、と何のてらいもなく言い切ってしまえる人ばかりになった時、私たちは後戻りを始めるのではないかという気がする。いや、便利で楽しければそれでいいんですけどね。ほんとに。

※このエントリはZDNetブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および ZDNet編集部の見解・意向を示すものではありません。

SpecialPR

  • ビジネスの継続的な成長を促す新たなITのビジョン

    多くの企業においてITに求められる役割が、「守り」のコスト削減から「攻め」のビジネス貢献へとシフトしつつある。その中でIBMが提唱する新たなビジョンEnterprise Hybrid ITとは?

  • デジタル変革か?ゲームセットか?

    デジタルを駆使する破壊的なプレーヤーの出現、既存のビジネスモデルで競争力を持つ
    プレイヤーはデジタル活用による変革が迫られている。これを読めばデジタル変革の全体像がわかる!