Linuxの生みの親トーバルズのライセンス信条

opensource 2005-06-13 22:22:52

 SCOがIBMを提訴した一件からもわかるとおり、著作権問題はあまねく人々の関心事になりつつある。中でも、新たなアプリケーションを生み出して、IT産業の次の世代を創造する開発者らは、そうしたプログラムをどういった条件下で公開するのか、熟慮を重ねる必要がある。

 こうしてみると、1998年にLinuxFocusのManuel Martinezからインタビューを受けた際にLinus Torvaldsが口にしたコメントは、非常に興味深い。

LinuxFocus(以下LF):Linuxの開発後、あなたは同製品をFree Software Foundation(FSF)のGPL(General Public License)の下、1992年に公開しました。同ライセンスに基づくカーネルのソースは、かなり自由な配布が認められていますね。

Linus:初めは、商用目的の配布を原則として禁止する非常に厳格なライセンスを適用していましたが、1992年前半にそれをGPLへ変更することにしました。確か、3月か4月のことだったと記憶しています。というのも、そのちょうど1年ほど前、安価で簡単なUnixを探し回っていたのですがこれが見つからず、苦い思いをしていたのです。

LF:あなたはこれまでも、BSDなど他のライセンスに対するGPLの優位性をたびたび説いていますね。

Linus:わたしはGPLが、例えばBSDなどと比べて、根本的に優れているとはまったく考えていません。しかしGPLでは、BSDとは異なり、プロジェクトに参加した人々の貢献努力が、将来にわたって開発コミュニティへフィードバックされるようになっています。わたしはこの点が気に入って、GPLを採用することに決めたのです。

自分のために遊びでプログラミングをする場合も、こうしたライセンスによるフィードバックを利用できたらよいのにと思います。そうすれば、プログラムに加えた改良を、だれもが同プログラムの将来のバージョンでも利用できるようになるのですから。

プログラミングの目的は人それぞれです。BSDライセンスを適用したほうが好ましい場合もあるでしょう。わたし個人はGPLを気に入っていますが、だからといってGPLが最高のライセンスだとは思っていません。要は、ライセンスに何を期待するかということです。

 Linusの上記の発言は1998年のものだが、おもしろいことに、同氏は今もLinuxを「386マシン向け無料Unix」だと認識している。だが、さらに興味を引かれるのは、LinusのGPLに対する実に明確な態度だ。GPL採用の背後には、政治的理由は存在しない。それがより多くの人に恩恵をもたらすからという、道徳的な理由があったわけでもない。単に、GPLならLinusの個人的ニーズを満たせるからだったのだ。

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