GPLが意味するところ

opensource 2005-06-21 08:02:33

 契約というものは、裁判所命令などによって変更されないかぎり、締結された内容のまま有効だ。これはもちろん、GPLに関しても当てはまる。

 例えばGeorge OuがZDNetサイト上で述べたように、同氏が協力している「TinyPEAP」プロジェクトはGPLソフトウェア「FreeRADIUS」に含まれるコードを利用しているので、プログラムを書き直さなければ、これを商用製品としてリリースすることはできない。

 GPLコードを利用するプロジェクトであるにもかかわらず、他のライセンス下でのリリースが予定されている――目下、こうした事態が頻繁に起こっている。ここで問題となるのは、どの程度の分量のGPLコードが流用されているかということではない。GPL公式サイトのFAQでも明確に指摘されているが、GPLコードと非GPLコードを組み合わせたプログラムは、常にGPLの制約を受けることになる。すなわち論理的には、GPLであるか否かの2つしかないわけだ。

 こうした類の問題が法廷に持ち込まれる場合、弁護士は現在係争中の訴訟や過去の判例を参考に依頼人の利益を主張するが、GPL契約の有効性は過去14年間、裁判で争われたことがなかった。唯一の注目すべきケースは、Progress Software(現NuSphere)とMySQLの間で起こった係争である。このとき裁判所は、Progressが自社の商用製品にMySQLライブラリを流用した件に関してGPL契約の有効性を認め、MySQLに有利な裁定を下したが、Progressの行為がMySQLに取り返しのつかないダメージを与えたとまでは言えないとしたのだ。

 ではしかし、ほかのライセンスを用いて公開されるプログラムに、どの程度のGPLコードが含まれていれば「取り返しのつかない」状態になるのか? そもそも、「取り返しのつかない」状態とはどのような状態を指すのか? いずれの裁判でも、こうした点は明らかにされてこなかった。将来GPLの第3版が公開されたとしても、これらの疑問がすべて氷解するとは思えないし、またその解釈があらゆる人々にすんなり受け入れられるとも考えられない。GPLの同新バージョンを巡っては、すでにさまざまな憶測が飛び交っているが、起草者らは意図的に沈黙を守っており、前述の疑問やそれに対する回答は、わたしが処理するには手に余るシロモノだ。

 そんなわけで、今ではGPLを遵守し、裁判所の許可なしにその契約事項から逸脱しないよう、十分配慮するようにしている。もっとも、Salman Rushdieの著書『ハルーンとお話の海』に出てくる「お話の海」の渾々たる流れのように、GPLやBSD、あるいはそのほか多くの「クローズド」ソースコードが次々と登場している今日においては、こうした態度を取るのは不適切かもしれない。しかしわたしが今言えるのは、「ライセンスの海」には恐ろしい魚がうようよしているし、GPLは見た目以上に有用だということだけだ。

 こんなふうに小説のたとえなど持ち出していると、逃げを打っているように思われるだろうが、それもしかたない。だがわたしは弁護士ではないし、テレビドラマで弁護士役を演じているわけでもない。法廷闘争には大金がかかる。避けるに越したことはないというのが、わたしの考えなのだ。

(Dana Blankenhorn)

※このエントリはZDNetブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および ZDNet編集部の見解・意向を示すものではありません。

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