GPL 3は遠すぎた橋となるのか? - (page 2)

文:Peter Glaskowsky(Special to CNET News.com) 翻訳校正:編集部

2007-07-05 18:45

 GPL 3にとっての難関は、Linuxカーネル開発の発起人であり、取りまとめ役でもあるLinus Torvalds氏に受け入れられるかどうかである。LinuxカーネルがGPL 2のままになると、Linux関連の他のプログラムもおそらくGPL 2準拠のままとなるだろう。しかし、GNUプロジェクトに由来する多くのLinuxコンポーネントはきっと、GPL 3に移行することになるだろう。1つのLinuxディストリビューションにGPL 2とGPL 3のコンポーネントの双方が含まれている場合、Linuxソフトウェア開発はかつて経験したことのない法的なややこしさを抱え込むことになる。

 FSFによれば、1つのプログラムのすべての構成要素はGPLの同一バージョンに基づかなければならない--しかしプログラムの構成要素とは何だろうか?明確な答えがあることは確かだが、すべての開発者がその答えを理解しているのだろうか?このことはGPL 2のリリース時には大した問題とはならなかった。なぜなら、GPL 2は一般的にその前のバージョンよりも優れており、ほとんどのプログラムがGPL 2に移行したためだ。しかし、商用アプリケーションにとってのGPL 3のデメリットのせいで、今回は移行の決断が難しくなりそうだ。

 われわれは、Stallman氏とFSFが知的財産に反対するあまり、行き過ぎた動きに出たかどうかということについて間もなく知ることになるだろう。自由と無秩序は異なるものである。真の自由というものには、自分にメリットがあると思えば今後の選択肢を狭めることになる契約を結ぶことのできる能力も存在しているはずだ。

 フリーソフトウェアをめぐる議論では、「無料のビール」(ただで手に入るもの)とか、「言論の自由」(人に与えられる行動の自由)といった言い回しがよく使われる。こういった言い回しに、Stallman氏は自己矛盾した「自由であることの自由」という言い回しを付け加えた--彼の考える「自由」は、一般人の考える、契約を履行する義務といった責任を伴う自由と同じではないのである。

 こういった言い回しに新たなものを追加するべき時がきた。潜在的なパートナーを敵にまわす自由という意味の「フリーソフトウェアにおける自由」だ。つまり、ある成果物を他者のプロジェクトから注意深く排除しなければならないという場合における自由である。私には、著作権や特許に対する世界で最も強力な反対者が同じ結果を達成したように思える。

この記事は海外CNET Networks発のニュースを編集部が日本向けに編集したものです。海外CNET Networksの記事へ

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