--それでは、「ああ、確かにそうですね、でも…」と言われる前に、どこまでこの議論を論理的に進めることができるでしょうか?
この議論についてわたしがすばらしいと思うのは、ソフトウェアの分野でこうした対話が行われ始めたことを目にしているという点です。物理、化学、生物学の分野では、すでに議論されてきました。このような対話が(コンピューター業界において)何かの方法で行われているという事実こそが、この業界が成熟し始めていることを示唆していると思えます。少なくとも、こうした疑問が議論の対象になっているわけですから。
--ほんとうにそう思われますか?ナノテクノロジーの危険性に関するBill Joy氏の論文が発表されて大騒ぎになりましたが、あなたが提起しているモラルの問題は、この業界で注目を集めている話題ではありませんね。わたしはと言えば、中国に対する方針について、シリコンバレーにいる権力者たちを非難するコラムをいくつか書きました。
そうですか。
--中国バッシングをしているのではなく、ビジネスの現実も知っています。しかしこの問題については、無関心という越えがたい壁があります。シリコンバレーのほとんどの人に黙殺されているのです。
それこそ個人が役割を果たし始め、信じられないような違いを生み出す可能性がある状況だと思います。そうした国が築いた障壁に入り込む方法を個人が見つけるかもしれません。「わたしはオープンで自由な情報の流れを信頼しているから、特定の国の政策にかかわらず障壁への侵入を積極的に実行するつもりだ」と言うことが、わたしにとってのモラル面からの決断です。この点で、1人の個人が大きな違いを作り出せます。Webは信じられないほど破壊的な変化を起こさせるもので、相違を生み出すのは方針を決める人ではなく個人なのです。
--ありそうな反対意見を言わせてください。
どうぞ。
--政治的に好ましいと思えない組織によって後で仕事の成果が利用される可能性があるだけでコンピューター科学者が主張を貫いた場合、ラッダイト(技術革新反対者)呼ばわりされるおそれはないですか?つまり、ある地点までは進んで技術革新を行うのに、将来のことを考えてこうなると判断したことが気に入らないためそれ以上は進めない、というやり方です。
これはとても難解で哲学的な問題に到達しましたね。主張を引っ込めましょうか?科学には、気付かないうちに判断を左右してしまうような力があることが難しい点です。個人的にはたとえ、「いいえ、わたしはそれをしないつもりです」という決断を下したくても、方針決定部門の地位にある人を教育し、自分たちがしていることの意味を理解できるようにする責任があるのです。
わたしが講演を終えるときによく使う短い決まり文句があるのですが、それは、ソフトウェア開発者であることによって、どれほど信じがたい特権を持ち、責任を負っているかということです。わたしたちは集団として文字通り世の中を変えています。人としてのわれわれと文明がつながっているような方法で、他のすべてのビジネスに影響を及ぼした産業は他に思い浮かびません。何ともすごいビジネスだと思いますね。