BSPでは、これまで二度の海外進出方法にチャレンジしている。最初は1995年だった。1981年の製品説明会以降、A-AUTOの販売拠点として米ニューヨークに現地法人、BSPインターナショナルを設立。
「運用ソフトはどの国でも使えると思ったのですが、しかしA-AUTOは無人化という色が濃いので、職種にこだわるアメリカ人には、自分たちの仕事を奪うのかという反発もありました。実際に現地に行ってみないと分からないことも数々あり、アメリカ人にソフトを売るのはそう簡単ではないと感じました」
2000年には、竹藤氏自身がBSPインターナショナルの社長に就任して現地で采配を振るった。
今度はアプローチを180度転換。米国で製品を開発、それを日本で売るという作戦に切り替えた。その利益で、米国でマーケティングを行うという考えだった。
「少し発想を変えたわけです。アメリカでソフトを売るといっても、なかなか売れないし、売れなければ収益にならないわけです。それで事業がどんどん縮小してしまい、撤退してしまうという事態になりかねません。そこで、安定した経営基盤を構築するために、日本国内においても販売可能な電子帳票のようなものを作り、それから収益を得てマーケティングを展開しようとしたわけです」
しかし、それも成功というわけにはいかなかった。そんなとき、MIJSに出会った。
「MIJSが同様のスローガンを掲げて旗揚げするという話を伺いました。当社が永年挑戦してきたことであり、その考えには非常に親近感を持ちましたね。私どもには経験もありますし、今はMIJSに参加して次のチャンスを狙いたいと思っているわけです」
中国経由でアメリカへ渡る?
追い風はあるという。
ひとつは内部統制やSOX法などの動きだ。不正を防ぐためには、運用の自動化や機械化のニーズが必ずあると見ている。もうひとつは、運用管理のガイドラインでありベストプラクティス集であるITIL。新たなVer.3では、ITサービスという観点から、開発も運用も統合されなければならないという考えが鮮明に出ている。
「ITIL Ver.3では、ITサービスという点で開発も運用も同じという考え方がベースになっています。運用はIT投資の7〜8割を占める大切な分野なのですが、しかしこれまでは、どうしても上流の開発工程に光が当たりがちでした。BSPは運用担当者を一貫して応援してきましたが、運用担当者はなかなか認められないという不満があった面も否めません。ITILがそれをブレークするキーワードになっています」