そのときだった。それまで沈黙を守っていたLinus Torvalds氏が、突然LKMLに登場し、強く鋭く反発した。彼の意見は、「自分たちのやり方が一番正しいという議論はウンザリだ。Linuxはあくまでも多様性を求める」というものだった。
「Linusの一言は、まさに『神風』だった。それまで混迷していたLKMLの雰囲気は一変し、議論には終止符が打たれた。しかも彼がLSM削除に反対したことで、SMACKだけでなく、TOMOYOや他のモジュールにもメインライン入りの可能性が再浮上した」と語るのは、プロジェクトメンバーでLSM版TOMOYO Linux 2.0の開発を担当したNTTデータ 技術開発本部の武田健太郎氏だ。
自ら「公式のLinuxカーネルの最終的な調整役(もしくは「優しい独裁者」)」と称するLinusの発言は、Linux関係者の誰もが傾聴する。LSMは維持され、SMACKは2008年4月にLSMモジュールとして標準カーネルに統合された。
最大のそして積年の危機との対決~LSMの呪い~
TOMOYO Linuxの最大の懸案事項は、実はメインライン化をめざした当初から存在していた。TOMOYOがLSMにつながり、メインラインに入るためには、LSMインターフェース(hook)が必要だ。
そこで当初から、TOMOYOは、パス名ベースの制御ができるようLSMのインターフェースの変更を提案していた。ところが、LSMの変更はfs(File System)に大きく関わる。そのメンテナであるAl Viro氏が、頑としてその提案を受け付けなかった。
それどころか「その議論には飽き飽きだ」とばかりに、回答さえしなくなっていた。何度提案を繰り返してもそれは変わらず、ついには彼に対して公開質問状まで上げたが、答えは返ってこない。受け入れられない原因がわからないまま、時は刻々と過ぎていった。
原田氏は、2008年6月に開催されたLinux Foundation Japan主催のJapan Linux Symposiumで、TOMOYO Linuxのメインライン化への挑戦をテーマに講演を行った。
シンポジウムのゲストには、mmツリーの管理者であるAndrew Morton氏、SELinuxのメンテナであるJames Morris氏、Labeled Networkの開発で知られるPaul Moore氏など、錚々たるメンバーが迎えられていた。しかし、その1人であるAndrew Morton氏こそが、後にTOMOYOの危機脱出の鍵となることを原田氏はまだ知らなかった。
同年7月、LSMの問題が解決しないまま、原田氏は休む間もなくオタワへ飛び、OLS2008でBOFを行った。発表を終えて質疑に移ったとき、彼にとって震撼するような出来事が起きた。