グローバリゼーションの推進者としてのIT
ナヤン・チャンダによると、「グローバリゼーション」という言葉が初めて使われたのは1961年なのだそうである。特にその使用頻度は1990年以降に急増しているという。これは、まさにインターネットによってグローバリゼーションが新しい地平へと導かれたことと無縁ではない。ITを核としたグローバリゼーションによって急成長を遂げたのはインドに代表される新興国であり、ソフトウェア開発のグローバル分業を実現した。金融や商取引においても世界の相互依存性を急速に高めたのはまさにITの力であると言える。
一方、ITビジネスのグローバル化により、ITビジネス自体はよりスケールを目指すものとなりつつある。最近のOracleによるSun Microsystemsの買収にも見られるように、大手IT企業はスケールを生かして統合的なソリューションを提供する方向へと向かいつつある。こうしたアプリケーションベンダーの統合化は、ユーザー企業の選択肢を減らす一方、それを選択することで大きなコストメリットを享受できることを意味する。つまり、業務プロセスも世界標準へと収斂していくこととなる。
これからのグローバリゼーション
現時点で我々は「グローバリゼーション」の功罪というものを議論することができるのは、「グローバリゼーション」という言葉が1961年から使われ始めたことから分かるように、「グローバリゼーション」を意識し始めたのが比較的最近だからである。しかし、ネット世代がインターネットを「テクノロジー」とは認識しないのと同様に、グローバル世代はグローバリゼーションを「新しい事象」とは認識しなくなるだろう。つまり、グローバリゼーションという概念は、グローバリゼーションが成し遂げられると消滅してしまうのだ。
しかし、グローバリゼーションが「標準化」のプロセスであるならば、それは異物の存在が許されない画一的な世界である可能性がある。つまり、新しい病原菌が入ってくれば、誰もが同様に影響を受けてしまうような世界であり、突然変異、つまりイノベーションが起きにくい世界であるかもしれない。こうしたグローバリゼーションを強力に推進しているのがITであるとすると、その功罪に関わる責任も強いと思わざるを得ない。世界中で誰もが検索にはGoogleを使い、YouTubeとFlickrで新しい映像と写真は共有し、友人とはFacebookで繋がり、仕事仲間とはLinkedInで繋がる。非常に便利である一方で、画一性には違和感を覚える。
だからと言って後戻りするのが解だとは思えない。さらに進んでいく中でいくつかの可能性があるだろう。第一に、この標準化されたものの上に、新たな多様性を築いていくこと。第二に、今あるものの外側に新しい世界を築いていくこと。第三に、標準化と独自性の適度なバランスを模索すること。グローバリゼーションは、テクノロジーの領域だけでなく、経済も文化も全てが影響を受けることとなるが、その推進自体にテクノロジーが大きく関わるだけに、その影響と方向性についてはしっかり議論していくことが必要だろう。

筆者紹介
飯田哲夫(Tetsuo Iida)
電通国際情報サービスにてビジネス企画を担当。92年、東京大学文学部仏文科卒業後、不確かな世界を求めてIT業界へ。金融機関向けのITソリューションの開発・企画を担当。その後ロンドン勤務を経て、マンチェスター・ビジネス・スクールにて経営学修士(MBA)を取得。知る人ぞ知る現代美術の老舗、美学校にも在籍していた。報われることのない釣り師。
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