この変化は過去わずか十数年の間に起こったものだ。この変化により、日本の法律も、世界中の投資家に対する保護という要請を受け入れることになった。これが2000年の「会計ビッグバン」の正体である。
会計ビッグバンでは、まず財務諸表が連結財務諸表中心となり、キャッシュフロー表の作成、時価会計の適用、さらには日本版SOX法と続く。ここまでの変化は、グローバル化というよりは米国様式への“コンバージェンス”(収斂)に近いものであった。
しかし、そこからもここに至るまでに、世界の金融市場の勢力図の変化は続く。
世界共通の会計の度量衡を創ろうという志の高いビジョンを掲げて、英ロンドンの国際会計基準審議会(International Accounting Standards Board:IASB)が2001年に作成したのが、「国際財務報告基準」(International Financial Reporting Standards:IFRS、「国際会計基準」とも呼ばれる)である。IFRSは、各国の思惑が駆け引きされる中でなかなか前進しない、ほかの国際協調とは異なり、米国の相対的な金融力の低下と相まって、2005年の欧州連合(EU)域内での強制適用を皮切りに米国、そして日本を巻き込むに至った。つまりIFRSの導入とは、金融商品取引法の話なのである。
グローバルとローカル、異なる会計基準の併存
金融市場がグローバル化することで、上場企業はたとえ国内市場への上場であっても、世界中の投資家を相手にすることになった。証券市場自体も、米国のニューヨーク証券取引所(NYSE)と欧州のユーロネクストが2007年に合併するなど、生き残りをかけて世界的な合従連衡が進んでいる。日本の証券市場もそのような環境変化への適応を模索しているところだ。証券市場の融合も、上場企業の投資家向け会計基準の統合推進要因となっている。
だが、その一方で、商法や税法はあくまで日本国内の話である。IFRSが導入されたからといって、商法や税法まで変更するとはならない。もちろん長期的な変化はあるだろう。ただ、それは国家戦略としてどのように国を導いていくかという意志にかかる問題だ。
国家の事情で言えば日本だけではなく、どの国も同様である。欧州の場合、EU域内といえども、それぞれ独立した国家の集合体である。投資家向け会計基準についてはIFRSを受け入れたものの、国家の主権に依るものについては独自の会計基準を維持した。つまり、IFRSの導入は“二重帳簿”が前提であることを忘れてはいけない。
IFRSの普及を支える連結会計
では、国内法と準国際法としてのIFRS、全く異なる視点を持つ度量衡はいかにしてギャップを克服したのだろうか。ここに連結会計が登場してくる。
連結会計とは企業単体だけではなく、実質的に経営権を持つ企業群を一つの企業として見なして経営状況を計測する会計である。一般的にはこの理解で問題ない。しかし、米国のように、連結財務諸表のみを開示要件とした会計制度と同様に連結ベースの税法が普及している国家は、異例であり、多くの場合は法的に独立した企業に対する個別会計を前提に国内法が組み立てられている。
このような事情を背景に、個別会計を国内法向け、連結会計をIFRS向けとして導入する連結先行という手段を採用することで、各国のIFRS導入コストを低減し、円滑な導入を実現した。たとえるなら、日本語を母国語とする国が、グローバル社会になったといって母国語を英語とするのではなく、母国語はあくまで日本語である。ただし、世界公用語は英語であることを認め、第2言語としてしっかりグローバルで活躍する(人材ではなく)“人財”の教育をするようなものである。