最近、米国でBankSimpleという新しい銀行の設立が話題になっている。といってもまだ設立されたわけではなく、その構想が明らかにされただけである。これは、データマイニングを銀行のコアコンピタンスに据えた上で預金、決済、融資などの基本的なサービスを提供していこうというものだ。新しいオンラインバンキングであるから、当然ソーシャルメディアも最大限活用するつもりのようだ。
BankSimpleの何が新しいのか
ただ、このBankSimpleが現在掲げている金融商品の構想は、既存の金融機関がすでに提供していて何ら新鮮味はない。また、ソーシャルメディアもすでにマーケティング領域では活用されているから、何か新しいというものでもない。むしろポイントは、データマイニングを主軸に据えて金融サービスを再構築しようとしている点である。
リテールの金融商品は、預金や決済から始まって、融資、保険、各種投資商品と多岐にわたり、取引チャネルも支店、ATM、コールセンター、ネットバンキングにモバイルバンキングと、とにかく利便性追求の声のもとに品揃えだけは拡大してきた感がある。
これは、オフィス製品がバージョンアップの度に機能を追加して、そんなにあっても使う機能はほんの一部という状況に類似する。ただ、メニューだけはどんどん複雑になっていくので、使う側からしてみると判りにくい。さらには、こんな使わないものばっかり足して、これも今払っているコストに含まれているのではないかと損した気分にすらなってくる。
この点、BankSimpleへの期待感というのは、複雑化した金融サービスをユーザー視点で再構成してくれることにある。つまり、顧客視点を第一義に考えて設立された点が新しいのである。
複雑化と単純化のサイクル
このように機能の高度化を通じたイノベーションの結果として、かえって使いにくいものができあがってしまったとき、既存のイノベーションの成果物をユーザーの観点から再構築するということがしばしば起きる。この場合、往々にして技術的にはそれまでのイノベーションを超えることはなく、むしろ機能の再構成を通じた単純化が行われる。つまり、イノベーションの方向性がユーザーの視点から再定義され、そこから新しいイノベーションがスタートする。
こうしたイノベーションの複雑化と単純化のサイクルは、この銀行サービスに限った話ではなく、ワープロや表計算などのオフィス製品、任天堂の「Wii」、Appleの一連の製品群でも同じようなことが観察される。つまり、機能を高度化するのではなく、ユーザー視点から改めて何がしたいのか、何があれば楽しいのか、どうであれば便利なのかという観点で機能の組み換えを行うことで、全く新しいユーザーエクスペリエンスを生み出すのである。
するとそこが新しい競争の出発点となり、機能の高度化や複雑化が進む。すると、気が付いたら多くの人が求めていないところまで競争が行き着き、そして改めてユーザーの視点に立ち返った単純化が行われる。
しかし、この単純化というのは、従来の競争環境からの決別であり、最も果実が大きいとともに最も勇気の必要な戦略である。BankSimpleが新しい金融サービスのエクスペリエンスを提供してくれることを期待したい。といっても米国の話ではあるが。
筆者紹介
飯田哲夫(Tetsuo Iida)
電通国際情報サービスにてビジネス企画を担当。1992年、東京大学文学部仏文科卒業後、不確かな世界を求めてIT業界へ。金融機関向けのITソリューションの開発・企画を担当。その後ロンドン勤務を経て、マンチェスター・ビジネス・スクールにて経営学修士(MBA)を取得。知る人ぞ知る現代美術の老舗、美学校にも在籍していた。報われることのない釣り師。