「アプリケーションの実行」ダイアログがない?
そのとおり。Ubuntu Unityは、実績ある「アプリケーションの実行」ダイアログを捨ててしまった。他の人がどうかは知らないが、長年の間、わたしにとってこのダイアログはアプリケーションの実行に必要不可欠のものだった。このツールを取り除くのは、最悪のアイデアだとは考える設計者はいなかったのだろうか。GNOME Shellについては?もちろん、これまでと同じように使える。
ウィンドウマネージャが変更できない?
これは、どちらのデスクトップにも当てはまる。ウィンドウマネージャを変更することはできない。例えば、標準のウィンドウマネージャよりも、Emeraldの方が気に入っている人がいたとしよう。もし、GNOME ShellかUbuntu Unityを使っているのなら、残念ながらEmeraldは使えない。これまで、Linuxデスクトップの魅力の1つは、その柔軟性だった。GNOME ShellかUbuntu Unityを使い始める人は、この柔軟性とはさよならだ。
わたしの記事をこれまでにも読んでくれていた人なら、わたしが以前からUbuntuとCanonicalの熱烈な支持者だということは知っているだろう。Mark Shuttleworth氏が、UbuntuはUnityに移行すると発表した際にも、わたしは同氏の肩を持った。その移行には、十分な理由があると考えていたのだ。その後、わたしはUnityを試す時間を十分に取ったのだが、率直に言って、これは間違いだ。Ubuntu Unityは、ユーザーがLinuxのデスクトップに求めるだけの水準に達していないし、それだけの働きもしない。わたしは、Ubuntu UnityがLinuxデスクトップにむしろ害を与えるのではないかと恐れている。新規ユーザーがUbuntu 11.04をインストールすると、彼らはネットブック向けにデザインされたデスクトップに迎えられ、期待を裏切られたと感じるだろう。
GNOME Shellは、より歯ごたえがあると言っていいだろう。GNOME Shellは非常に優れた機能を持っているし、現在のデスクトップに対して、数多くの本当に素晴らしい「進化」をもたらしている。わたしのGNOME Shellに対する最大の不満は、柔軟性が欠如していることだ。しかし、GNOME Shellは確かにずっと洗練されているし、プロフェッショナルな視点で物事を見ている(それに対し、Unityはおもちゃのように見えることがデスクトップとしてよいことだと考えているように見える)。
これら2つの中から選ぶのなら、わたしは絶対にGNOME Shellを選ぶ。だが幸運なことに、選択肢はこれだけではない。Ubuntuには多くの派生ディストリビューションが生まれるだろう(GNOME Shell版の派生ディストリビューションは、まず間違いなくただちに登場するだろう)。実際、これらの移行によって、いくつかの代わりになるデスクトップが表舞台に出てくる可能性が高い(例えば、わたしのお気に入りであるEnlightenmentなど)。そして、それこそわたしが望んでいることだ。読者はどう思われるだろうか。GNOME ShellとUbuntu Unityの戦いについて、何か意見があれば聞かせて欲しい。
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。