マヤ文明には、2012年に人類が滅亡するという説があるそうだ。実際には、マヤの暦の一つの区切りが2012年ということで、人類の滅亡とは関係ないとされる。
ただ、2012年あたりに一つの区切りが来るという感覚は判らないでもない。では人類でないとすると一体何が滅びるのだろう?
今欧州で起きつつある債務危機の状況を見ていると、果たして国という枠組みで物事を議論することで世の中が良くなっていくのだろうかという疑念が湧いてくる。つまり、物理的な境界線によって区切られた内部を一つのユニットとして、それぞれに国家としてのシステムを構築していくというやり方だ。もし今新しく世界を作り直すことができるとしたら、果たして物理的な線を引いたりするだろうか?
グローバリゼーションの過程で徐々に文化的融合が進み、土地固有の文化とは異なる別の文化圏がSNSを通じて生じるようになっている。また、環境資源の限りも見える中で、それぞれの国が自らの権益を守ることの限界も明らかだ。ビジネス上の仕組みにしても、従来は国ごとにサービスを作ることが必須であったが、今であればネットを通じて提供すれば、国の境界線はほとんど意味を成さない。
例えば、先日取り上げた決済の仕組みにしても、ネット上で新しく開発された決済サービスは、国境を跨ってわずか10分で送金処理を完結させることが出来る。しかし、国ごとの規制の枠組みの中で作られた決済システムや銀行システムでは、既存の枠組みを連携させながら情報を伝達していくために、より時間とコストを要することとなる。
つまり、既に国境を跨いだ枠組みやサービスは容易に提供できる環境にあるのに、既存の枠組みを前提とすれば、その調整に膨大な時間とコストが掛かって、なかなか物事が進まない。今、その崩壊すら指摘されつつあるユーロという通貨の小口決済システムは、通貨が統一されて既に10年が経つのに未だ国別に存在しているのが現状なのである。
国という境界線には、それに紐づく土地、資源、経済など、様々な既存の権益が結びついている。そしてそれは旧来の価値観と密接に結び付いたものである。一方、人々はよりバーチャルに連携し、それをいかに活用するかが価値を生む世の中となっている。また、先日紹介したMovenbankのようにソーシャルネットワーク上での影響力を価値と認めようとする金融機関も出始めている。
先進国から新興国へ、あるいは、リアルからネットへというのは、これまでも当然言われてきたことであるが、その時我々の価値観そのものが大きく変化した訳ではなかった。まだ自分でも何と表現してよいのか判らないが、単にパワーのシフトが起こるということを超えて、従来と異なる価値観で物事を見始める時が間もなく来るように思うのである。その時は、先進国と新興国の区分、あるいはリアルとネットの区分などは、あまり意味を持たない概念となるような気がするのである。
2012年あたり、そんな感覚の変容が自覚できるような気がするのである。
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飯田哲夫(Tetsuo Iida)
電通国際情報サービスにてビジネス企画を担当。1992年、東京大学文学部仏文科卒業後、不確かな世界を求めてIT業界へ。金融機関向けのITソリューションの開発・企画を担当。その後ロンドン勤務を経て、マンチェスター・ビジネス・スクールにて経営学修士(MBA)を取得。知る人ぞ知る現代美術の老舗、美学校にも在籍していた。報われることのない釣り師。