富士通アイソテックは3月12日、東日本大震災から1年が経過したことを受け、同社内において1周年の講話会を行った。
午前10時50分から約30分間に渡って行われた講話会では、富士通 執行役員 パーソナルビジネス本部長である齋藤邦彰氏、富士通アイソテック代表取締役社長の栃本政一氏が講話を行い、会議室に集まった約100人の幹部社員のほか、生産ラインをすべて停止し、全社放送を通じて約900人の同社全社員が参加した。
富士通アイソテックは、福島県伊達市にあるデスクトップPCの生産拠点。東日本大震災では震度6弱の地震に見舞われ生産ラインが崩壊。エアコン落下やダクト破損などにより、2日間に渡って生産棟に立ち入りできないといった甚大な被害を受けた。
だが、3月23日にはノートPCの生産を行っている島根県出雲市の島根富士通で、一部デスクトップPCの生産を開始。3月28日には、富士通アイソテックでのデスクトップPCの生産を再開した。
また、同じく同社で生産しているプリンタは3月22日に、サーバは23日に生産を再開している。
事業継続計画の約3割が想定通りに動かず
齋藤執行役員は「この1年の努力、成果に感謝の意を表したい。また、尊敬の意を表したい」と切り出し、「BCP(事業継続計画)の実行には、人的被害がなかったことが大きく、全社としてBCPの基礎が出来ていたことがあげられるが、社員が想定外の事象に対して柔軟に対応したことが最大の成果であり、これがお客様への影響を最低限に留めた。復旧、復興は人に尽きる。策定したBCPでは、約3割が想定通りには動かなかった。だが、ひとりひとりの志を持った活動の結果が、これを乗り越えた。1年間ありがとう。そしてご苦労様」と労った。
また、富士通アイソテックの栃本社長は、「訓練では十数分で完了していた安否確認が、30分かかった。頭のなかが真っ白になり、防災規程を見る余裕がなく、放送設備が使えないという問題が発生した。初期行動が迅速にとれたかどうかという点では反省が残る」と振り返ったほか、「ヘルメットの常備数が少なく、トランシーバーが使用不能であったことなど、防災部品の不足やメンテナンスの不備があった」と語り、「DRP(ディザスタ・レスポンス・プラン)を策定し、初動3時間の行動マニュアルをまとめている」などとした。
さらに、これまで年1回だった防災訓練を総合訓練と目的別訓練の年2回に増やすこと、乾パン900食、ミネラルウォーター600リットル、毛布100枚を常備し、100人が3日間過ごせる環境を想定して備蓄を強化したという。