大文字と小文字を組み合わせて、それから数字も入れて、それでもって6文字以上、そしてそれを3カ月毎に変更する。これがアプリケーションや登録している会員サービス、金融機関の口座毎にある。そんなものは到底覚えることは出来ない。
しかし、この問題の解決はそんなに難しくない。紙に書いておけばよいのである。なぜならば、パスワードは形式知だから、簡単に文字で表現できて、間違いようが無い。そして、形式知であること、これがパスワードの最大の弱点なのである。
形式知と暗黙知
形式知というのは、明示的に言葉などで説明できるものである。例えば、システムの操作手順をマニュアル化して、その通りに実行すれば間違わないということであれば、それは形式知である。
この形式知の対になるのが暗黙知である。よく例に挙げられるのは、自転車の乗り方。自転車に乗れる人が乗れない人に対して、それを言葉で説明するのは非常に難しい。
ちなみに、自分の場合は、魚のさばき方。釣ってきた魚をさばきたいのであるが、本を見てもイラストを見ても、写真を見ても、どうしてもその通りには出来ない。例えば、「中骨の上で包丁を滑らせるように動かして上身を開いていく」とか書いてあっても、分厚い魚肉が骨の周りにくっついた、実にもったいない感じの三枚おろしにしかならないのである(まぁどうでもいいですね)。
パスワードに暗黙知を使ってみる
さて、今日の本題は魚のさばき方ではなくて、パスワードの暗黙知化なのである。つまり、パスワードを暗黙知として習得することで、明示的には記憶しない、つまり、伝えようと思っても他の人には伝えられないパスワードが作れるという話。更に良いことには、暗黙知はそう簡単には忘れないのである。
覚えないけど、忘れない。これ、自転車の乗り方や魚のさばき方と同じで、一度出来るようになると、手順の説明は出来ないけれども、いつでも出来るのである。
Bloomberg Businessweek誌によると、暗黙知を活用したパスワード生成技術に関する研究が専門家の間で行われているという。どうやってやるかと言うと、ある実験では、パスワードを覚える人は、画面上に出てくる文字をひたすら打鍵する。
これを45分間続けると、その打鍵する文字列の中に何度も出てくる30文字がパスワードとして記憶される。どう記憶されるかと言うと、その30文字についてのみは、他の文字列の打鍵よりも、打鍵スピードが10%早いのだそうである。
暗黙知は破れない
しかし、その実験の被験者は、30文字のキャラクターセットを記憶する必要もなければ、そもそも何がパスワードであるかすら知ることは無い。全ては自転車の乗り方と同じく、暗黙知として記憶され、それを他の人に伝えることも出来ない。
更に良いのは、仮に、そのパスワードを暗黙知から引き出そうとしても、決して引き出せないことである。パスワードを知っているはずの人物にひたすら様々な配列の文字列を打鍵させたとする。つまり、打鍵スピードが速くなる文字列を発見して、パスワードを読み解こうとする訳だ。
しかし、これを続けていると、この人物は、徐々に別の文字列を暗黙知として取り込み始め、別の文字列の打鍵スピードが速くなってしまう。結局、もともとのパスワード配列に関する暗黙知が、他の暗黙知で曖昧化されてしまい、本来のパスワードが何であったか分からなくなってしまうのだという。
この研究、まだ実用には至っていない。パスワードの文字列が長すぎるし、習得するのにかかる時間が長すぎる。しかし、この研究、パスワードの問題以上に、暗黙知を暗黙知のままに伝える技術として発展させることが出来たら、なおすごい。
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飯田哲夫(Tetsuo Iida)
電通国際情報サービスにてビジネス企画を担当。1992年、東京大学文学部仏文科卒業後、不確かな世界を求めてIT業界へ。金融機関向けのITソリューションの開発・企画を担当。その後ロンドン勤務を経て、マンチェスター・ビジネス・スクールにて経営学修士(MBA)を取得。知る人ぞ知る現代美術の老舗、美学校にも在籍していた。報われることのない釣り師。