一方、Appleの「Fan boy」(いわゆる「マカー」と近いニュアンスか)の代表格で、Phil Schillerなどと近いことでも知られるDarling FireballブログのJohn Gruberは、主に後者の点--「Googleがほんとうに、Pageのいう『まだ存在しないすごいモノ』をつくったことがあるのか」という点に噛みついている(註9)。
Gruberの目から見ると、「AndroidはiPhoneの後に出てきたもの」「Google+は、Facebookのまねっこ」「(今回のI/Oカンファレンスで発表になった)音楽のストリーミング配信サービスは、Spotifyのコピー」であり、「Gmailにしても、Webmailよりもよくできていただけ」「地図サービスの市場だって、MapQuestのような先行者が切り開いたもの」。そして「ウェブ検索も、それまでにあった他社サービスよりはるかに優れていたとはいえ、決して先駆者だったわけではない」などと記している。
ここで注意が必要なのは、Gruberの話のポイントが「先駆者がそれほど偉いのか」「後からでも質の良いものをつくって人気を集めた(結果的に勝負に勝った)者は偉くないのか」といった議論にではなく、「Googleが実際にはとっても競争好き(hyper-competitive)な会社」であるという点。
「Googleはこれまで繰り返し、既存の市場に後から参入して、競合相手を打ち負かしてきた」と記すGruberは、「そうすることには何も問題はない」「資本主義とはそういうものだし、グーグルの成功は立派なもの」と述べ、だからこそ「『Google対競争他社』云々という話はちっとも馬鹿げていない」と主張。そして「彼らはすべてを手に入れたがる。彼らの野望には際限がない」とだめ押ししている(註10)。
さて。この類の話を目にするといつも浮かんでくるのは「超一流経営者の資質」みたいなものについての思いで、もう少し具体的にいうと「自分の言動が矛盾していないかどうかをいちいち気にかけるか」というような細かな点を超え、さらに先の「複数の相容れない事柄を同時に信じ込める能力」といったものになるかもしれない。
また、実際には広告業界の売上の一部をかすめ取る程度のことしかしていないのに、それが「世界を(良い方に)変える」行為と自ら信じられる(「その程度のことに世界でもトップクラスの頭脳をつぎ込ませている」といった批判には頓着しない)能力、「Google Glass」のような早晩必ず騒動を起こしそうなもの(プライバシーなどの点で)を「つくれるんだから、まずつくって出しちゃえ」と思い切れる能力(註11)……。よくも悪くもそういう常人とは違う「吹っ切れたところ」のある人でないと「歴史に名を残すような名経営者」はおろか、一人前の経営者にもなり難いのではないか、などという気もしている。