#6:コンテンツの所有を可能にしたテクノロジ
1980年代にはコンピュータしかテクノロジがなかったというわけではない。ホームビデオもテクノロジの一翼を担っており、ビデオテープレコーダを初めて入手した時には、ハリウッドの一部を手に入れたような気分になったものだ。そしてテレビ番組を録画し、何度も視聴できるということに興奮したのを覚えている。最初に観たのは「Silver Spoons」という番組の1エピソードだった。その後、テレビで放映されたいくつかの映画を録画し、何度も何度も視聴した(当時の筆者は映画に対する好みが今ほど多様ではなかったのだ)。「48時間」や「マッドマックス2」といった映画は、編集版がテレビで放映された際に筆者のベータマックス機に録画しておいたため、今でもさまざまなシーンのセリフを暗唱できる。
今ではコンテンツの所有が当たり前になっているため、こういったことは目新しい話ではない。そして、実際に多くの人々が数テラバイトにもなるコンテンツデータを所有している。しかし当時は、好きな時に番組を視聴したり、何度も視聴したりできること自体が画期的だったのだ。筆者の記憶では、オリジナルのテープリールに記録されているものや、原始的なホームムービー以外に、好きな時に鑑賞できるようなコンテンツを持てる人などいなかったのである。
#7:自宅からのオンライン接続を可能にしたテクノロジ
最初に述べておきたい。筆者はIT好きではあったものの掲示板システム(BBS)にはまった経験はない。母親が電話好きであったため、両親と生活している時にモデムを入手することはなかったし、入手したいとも思わなかった。このためインターネットが登場し、普及し始めた1992年には歴史がすべて繰り返されているかのように感じられた。筆者は仕事で病院での研究に従事する機会があり、そこではテキストベースのインターフェースを使ってインターネットにアクセスするようになっていた。その際に筆者は、ドラゴンと対話できる(食べられないように説得する)ゲームを見つけたことを覚えている。また、ArchieやGopherを用いれば、1台のコンピュータとではなく、複数のコンピュータに一度にアクセスできた。筆者は定時以降もインターネットに接続し、色々なところを探検した。無味乾燥な公共の医療データに目を通す時ですら、それがシカゴやモントリオールのサーバから送られてきたものかもしれないと思うだけで心が躍った。
自宅から14.4kbpsのモデムとIBMの80386マシン(と記憶している)を使ってインターネットに接続する際には、初めてホームコンピュータを所有した時と同じくらい興奮した。机の上に置かれたコンピュータを使ってインターネットの世界と対話できるだけでなく、プログラムのダウンロードやメッセージの送信、情報の検索といったあらゆることができた。言うなれば世界旅行をするために、職場のインターネットアクセスに頼る必要がなくなったというわけだ。まるでデルポイの神託所を個人的に手に入れたような気分だった。上述した目新しさという感覚は電子メールメッセージにも当てはまった。スパムやフィッシングメールといったがらくたの登場や、「午前8時までにやる作業」といった意味の電子メールメッセージがはん濫するまで、電子メールメッセージを受け取るというのはとてもクールなことだったのだ。
#8:オタク的偏見と縁のないテクノロジ
1980年代から1990年代にかけての素晴らしさの1つに、IT分野にいるすべての人々が味方同士であるように見えたという点が挙げられる。コンピュータ愛好家らは、AppleがIBMよりも優れているかどうかといった議論などしているようには見えなかった。現代では、OSに対する自らの好みを表明するだけで、IT分野におけるWindows陣営やApple陣営、Linux陣営からやじや文句が飛び出して蜂の巣をつついたような騒ぎになりかねない。また、一部の人々はテクノロジを楽しむことよりも、自ら選択したもののひどさを口にすることに時間を割いているようだ。さらに現在では、「何も考えずに信じ込むこと」や「レミングの群れのような行動」に対する批判がはびこっている。このため、昔の優しく寛容な日々が懐かしく感じられる。