「破壊するか」「破壊されるか」だけの議論にうんざり
Clayton Christensen氏といえば「イノベーションのジレンマ」だ。同氏が1997年に提唱した理論は、ビジネスマネジメントに関心がある人であれば誰でも一度は聞いたことがあるだろう。
ところが、The New Yorker誌6月23日号に、Jill Lepore氏によるChristensen氏批判が掲載された。これだけ広く受け入れられた理論を攻撃するのは相当に勇気の要ることである。
同氏は、「イノベーションのジレンマ」以降、世の中は破壊的イノベーションに関する議論ばかりでうんざりだと言う。全ては「破壊するか」「破壊されるか」だけになってしまったと。
そして、Christensen氏がその理論を構築するに際して挙げた事例について、その妥当性を批判する。例えば既存の大企業でも生き残っているものもあること、倒産した企業もその要因は必ずしもイノベーションの失敗のみには帰すことができないこと、などなど。
さらには、2000年にChristensen氏が運用を指南したと言われる「Disruptive Growth Fund」が、わずか1年で大幅な運用損を出して償還された事実を指摘し、Christensen氏の理論が誤謬に満ちたものであると切り捨てた。
「イノベーションのジレンマ」は虚構か
Christensen氏は、BusinessWeek誌のインタビューでLapore氏に反論する。既存の巨大企業が生き残っているからといって、理論そのものが間違っている訳ではないと。
例えばアメリカのリテイラーであるMacy'sは、1960年代から生き残っているが、その業界はもともと300社以上あったのが、Walmartなどのディスカウンターの登場で10社以下に減ってしまった。それでも、Macy'sが生き残っているからといって、理論に誤謬があるとは言えないだろうと主張する。投資ファンドについても、自ら投資企業の選定に関わったことはないとした。
確かに、世の中に満ちるイノベーション論のあらゆるところでChristensen氏の議論は明示的あるいは暗示的に引用される。一方で、全ての産業において破壊的イノベーターが巨大企業を倒した訳ではないし、巨大企業が倒れたとしても、全ての要因がイノベーションのジレンマに帰せられる訳でもない。
しかし、優良な顧客を重視するが故に、イノベーションへの取り組みが遅れ、新しいプレーヤーの参入を許すという状況は、現在のビジネスにおいても日々実感されることだ。もしかすると、論証は完璧ではないかもしれないし、投資ファンドはうまくいかなかったかもしれないが、「イノベーションのジレンマ」のリアリティは失われているとは思われない。
Airbnbは破壊的イノベーションか
話は変わるが、時を同じくしてもう一つの論争がある。PtoPの宿泊予約サービスであるAirbnbの合法性についてである。ニューヨークにおいては、賃借している部屋をAirbnbで貸し出す人が増えているが、法律ではテナントが短期的に第三者に部屋を貸すことが禁止されている。
建物のオーナーからしても、賃借契約のない人が入れ替わり部屋を使う状況は、治安の面からも許容できない。そして、Airbnbによって、その顧客を奪われるホテル業界も、規制が緩和されることには反対だろう。
しかし、こうした問題を抱えながらもAirbnbのビジネスのスケールは、既に190カ国に60万の物件をリスティングするまでになっている。では、仮にホテル業界が「イノベーションのジレンマ」を意識していれば、AirbnbのようなPtoPモデルを生み出すことができただろうか?
「イノベーションのジレンマ」ではしばしば、これまで十分にサービスが提供されてこなかったセグメント、つまり大企業の優良顧客ではないセグメントから破壊的イノベーションが始まる。しかし、Airbnbは、必ずしもローエンドの顧客のみをターゲットとしている訳ではない。
その価格レンジは低いものから高いものまでさまざまである。むしろ、借り手も貸し手も、必ずしもお金のことだけを考えてAirbnbを使う訳ではない。
そこにはシェアリングエコノミー独特の個人と個人を直接に結びつけるコミュニケーション、そしてピアレビューによって成り立つ規律がある。つまり、シェアリングエコノミーに参加する個人というのは、それを楽しむ人々なのである。
一方、Christensen氏のイノベーションのジレンマにおいて、企業は「成長という至上命題」(『イノベーションへの解』P1)を抱え、「最強の競合企業を打ち負かす方法」(同書P35)を必死に考える存在である。Airbnb自体は収益企業であるが、それを支えるホストとゲストは、必ずしも収益至上主義ではなく、コミュニティ至上主義である。なぜなら、そこでの信頼を失えばシェアリングエコノミーに参加できないからだ。
米国の食料品専門のスーパーマーケットであるWhole Foods Marketの創業者John Mackey氏は、「コンシャスキャピタリズム」という概念を提唱する。そこでは、地球上の人類は相互依存によって初めて生きていけることを強く意識し、企業はあらゆるステークホルダーの幸福を追い求めるべきだとする。
コンシャスキャピタリズムの下では、自社の利益のみを追求することは長期的には弊害を生むものだとされ、競合ですらともに歩むステークホルダーとして位置付けられる。やや理想論にも聞こえるが、これは明らかに「イノベーションのジレンマ」が想定する企業像とは異なるものである。
「イノベーションのジレンマ」の終焉
筆者はLepore氏の言うような意味において「イノベーションのジレンマ」が批判に晒されるべきではないと思う。つまり、個々の事例の誤謬を指摘して、理論自体の意義を問うことには賛同できない。これは、日々ビジネスに関わる者の実感として「イノベーションのジレンマ」の存在を強く意識するからでもある。
もし「イノベーションのジレンマ」の意義が失われるとするならば、それは企業のあり方に関するパラダイムが大きく変わるときだろう。なぜなら、「イノベーションのジレンマ」とは、競合に打ち勝ち成長を続けることを是とする一企業の目線から組み上げられた理論であるからだ。
一方で、シェアリングエコノミーやコンシャスキャピタリズムといった新しいアイデアは、企業のあり方や個人が行動を起こす動機において、従来とは異なる概念を提示する。しかし、それはまた新しいジレンマの始まりでもあるのだろう。
飯田哲夫(Tetsuo Iida)
電通国際情報サービスにてビジネス企画を担当。1992年、東京大学文学部仏文科卒業後、不確かな世界を求めてIT業界へ。金融機関向けのITソリューションの開発・企画を担当。その後ロンドン勤務を経て、マンチェスター・ビジネス・スクールにて経営学修士(MBA)を取得。知る人ぞ知る現代美術の老舗、美学校にも在籍していた。報われることのない釣り師。