海外コメンタリー

遺伝子検査のもたらす素晴らしくも恐ろしい未来(下)--99ドルで解析も、その先にあるもの - (page 2)

Jo Best (ZDNet UK) 翻訳校正: 村上雅章 野崎裕子

2015-08-11 06:30

 1980年代の後半、放射性標識ではなく、複数の蛍光色素を用いて各塩基を標識するという新たなプロセスが生み出された。これにより作業効率が4倍になった。4回の反応過程を経ずとも、1回で同じ作業が可能になったのだ。

 1990年代のキャピラリーアレイ電気泳動という技術によりシーケンス解析はさらに効率化された。熟練した研究者が手作業でDNAストランドをゲルプレートに流し込むのではなく、機械が自動的に96本のキャピラリー(毛細管)にDNAストランドを吸い込み、それらをレーザーで読み込むというわけだ。これにより同プロジェクトは、最長1000塩基で構成されたゲノムの断片を処理できるようになった。

 プロジェクトが始まった頃、大きな研究機関はシーケンス解析用のソフトウェアを開発していたが、システム間での標準化がなされていないうえ、ソフトウェアを使用するには極めて高度なスキルが必要であったため、使いこなせる研究者はほとんどいなかった。

 その後、キャピラリーアレイ電気泳動システムの導入と、ムーアの法則に従ったコンピューティングの進歩により、シーケンス解析のペースは上がり、コストも削減できるようになったものの、研究者が解析に使用するソフトウェアはそのペースについていけなかった。

 Schloss氏は「いつもデータのところで待ちが発生していた」と述懐している。

 ヒトゲノム計画には、特定サイズのゲノム解析結果を24時間以内に公開するという原則があった(ちなみに同時期にゲノムのシーケンス解析を実施していた私企業のCeleraは、解析結果を非公開にしていた)。

 とは言うものの、ヒトゲノム計画が始まった頃、ある一定のレベルまでしか公開が追いつかなかった。Schloss氏は「(読み取り結果の共有が可能な長さは、研究者らが)FTPでデータを送信できるサイズまでだった。当時まだメインフレームを使用していたのかについては、よく覚えていない。おそらくはミニコンピュータ(UNIVAC)か、同世代のコンピュータだったはずだ。データの量を考えた場合、PCでできることは限られていた。1989年や1990年の時点でどんな作業にPCを使っていたかと言えば、ゲルリーダーに接続してスラブシーケンスゲルを読み込むためだった。PCはさまざまな研究機関で導入されていたが、(共有するには)データがあまりにも多すぎたのだと思う」と述べている。

ZDNET Japan 記事を毎朝メールでまとめ読み(登録無料)

ホワイトペーパー

新着

ランキング

  1. セキュリティ

    「デジタル・フォレンジック」から始まるセキュリティ災禍論--活用したいIT業界の防災マニュアル

  2. 運用管理

    「無線LANがつながらない」という問い合わせにAIで対応、トラブル解決の切り札とは

  3. 運用管理

    Oracle DatabaseのAzure移行時におけるポイント、移行前に確認しておきたい障害対策

  4. 運用管理

    Google Chrome ブラウザ がセキュリティを強化、ゼロトラスト移行で高まるブラウザの重要性

  5. ビジネスアプリケーション

    技術進化でさらに発展するデータサイエンス/アナリティクス、最新の6大トレンドを解説

ZDNET Japan クイックポール

自社にとって最大のセキュリティ脅威は何ですか

NEWSLETTERS

エンタープライズ・コンピューティングの最前線を配信

ZDNET Japanは、CIOとITマネージャーを対象に、ビジネス課題の解決とITを活用した新たな価値創造を支援します。
ITビジネス全般については、CNET Japanをご覧ください。

このサイトでは、利用状況の把握や広告配信などのために、Cookieなどを使用してアクセスデータを取得・利用しています。 これ以降ページを遷移した場合、Cookieなどの設定や使用に同意したことになります。
Cookieなどの設定や使用の詳細、オプトアウトについては詳細をご覧ください。
[ 閉じる ]