第1回「アンティキティラ島沖に眠る2000年前の船」に引き続き、今回は「北極海に眠る19世紀の探検船」の謎に迫る。
北極海に眠る19世紀の探検船
19世紀には北極海の探検が始まり、海洋国家を標ぼうする国々は、氷に閉ざされた未知なる海域の調査にしのぎを削っていた。
1845年、北極海を経由してヨーロッパとアジアを結ぶ通商ルートを確立するという北西航路開拓の命を帯び、2隻の船が英国のケントから北極海に向けて出港した。
しかし船が英国に戻ることはなかった。
この2隻の船、エレバス号とテラー号は、氷に閉じ込められて動けなくなったため、乗組員らは船を放棄し、食料や集落の発見を願いながら徒歩でカナダの北極圏をさまよう羽目になったと考えられている。そして乗組員らが無事に帰還することはなかった。その後の100年以上にわたる捜索活動のなかで、乗組員たちは飢えと鉛中毒、壊血病、肺炎などに悩まされ、人肉食まで行った証拠が発見されている。
エレバス号とテラー号を放棄した後の探検隊の運命は、現地に住むイヌイットからの証言や、乗組員らが徒歩で北極圏をさまようなかで残した遺物、探検隊の隊長であったジョン・フランクリン海軍大佐の死後にその代理を務めた人物が書き残したノートといった断片的な情報から浮き彫りになってきている。
そして、1850年頃にキングウィリアム島の沖合に1隻の船が浮かんでいるのを見たというイヌイットの報告を最後に、船の行方はその後150年間、ようとして知れなかった。
テラー号の捜索に向かうカナダの調査隊(2015年)
提供:Thierry Boyer氏(パークス・カナダ)
2008年、ヴィクトリア時代から長きにわたって続けられてきているエレバス号とテラー号の捜索活動の歴史に新たなページを書き加える試みが、パークス・カナダとカナダ水路部(CHS)、ヌナブト準州の北極地域政府によって開始された。
何年にもわたる捜索活動により、調査海域はヴィクトリア海峡と、フランクリン隊が遺棄した後の船に乗船したという地元のイヌイットの証言があるクイーン・モード湾の2カ所にまで絞り込まれた。
パークス・カナダは、毎年この2カ所の海域に戻り、失われた船の痕跡を求めるための測量調査を実施していた。1年のうちのほとんどの期間は氷に閉ざされ、数週間しか立ち入れないこの場所で、考古学者らは失われた船を探し続けたのだ。
そして2011年、チームは捜索を支援するためにLIDARという新たなテクノロジを導入した。LIDARはパルスレーザーを使用したリモートセンシング技術であり、この機材を装備した航空機を海岸線に沿って飛行させることで、水深約20mまでの地形図を作成できるようになる。LIDARシステム自体は沈没船の兆候を捉えるためではなく、現在でもちゃんとした測量がなされていない広大な地域をより精密に調査し、地図を作成するために導入されたものだ。また、カナダ宇宙庁もこのプロジェクトに協力し、海岸線と干潮時海岸線の測量を支援するために人工衛星「Radarsat-1」と「Radarsat-2」からの衛星地図データを提供した。