エンタープライズトレンドの読み方

珍説:自己実現では終わらない、マズローの「純粋階段」理論

飯田哲夫 (電通国際情報サービス)

2016-02-09 08:00

 高齢者の預金は動かないと言われる。消費されることもなく、投資へ回ることもない。これを、「マズローの純粋階段理論」という珍説で説明してみたい。

 「マズローの自己実現理論」という、人間の欲求の変化を捉えた有名な考え方がある。マズローの理論は、人間の欲求を5つの段階に分け、欲求が低位の段階から高位の段階へ向けて登ってゆくものだと定義している。

 図にあるように、まずは食事や睡眠のような生理的欲求の充足を求めることから始まり、それが満たされれば、安全な暮らし、そして社会における役割といった風に、人間の欲求は一段一段階段を上がっていく(図はWikipediaの定義から筆者作成)。

マズローの自己実現理論

 成熟国においては、「生理的欲求」や「安全の欲求」などは、生を受けたときからすでに満たされており、3段階目の「社会的欲求」や「承認の欲求」からスタートし、自己実現へ向けて突き進むことになるだろう。このことは、わわれわの消費パターンにも影響していると言われる。菅付雅信氏は、その著書『物欲なき世界』で、消費の変化をこのように表現している。

モノを買うことから、作ることへ。そして、お金で買うのでもモノではないサービスや情報へ。さらにはモノを売り買いするのではなく、人の生き方や物語を売るという次元へ。

 つまり、何かを所有したいという欲求が徐々になくなっていき、自分の持つ理想や課題意識に基づいたライフスタイルを構築していこうとする。すなわち、自己実現へ向けた志向性が強くなり、所有欲とは切り離されてゆくのである。菅付雅信氏は、こうしたトレンドを「『生き方』が最後の商品となった」(『物欲なき世界』)と言う。

 しかし、われわれは本当に欲求の階段を上り詰めて誰もが自己実現できるような社会を作れるのだろうか? なんとなく、この階段、どこにも行きつくことのない階段、つまり、階段としてのみ存在する「純粋階段」なのではないかと感じるのである。

 一般的に「階段」とは、上の階へ登るためにあり、登った先には何らかの目的が存在しているはずである。例えば、誰か友達を訪問するのかもしれないし、上からの風景を眺めるのかもしれない。

 しかし、「純粋階段」とは、登った先に何も存在せず、登って降りることしかできない、全くの無用の長物である。こちらの画像を参照頂ければ、純粋階段というもののイメージが沸くだろう。そして、筆者はマズローの自己実現理論が、実は5段の純粋階段でできているような気がしているのである。

 かつて、それは上り詰めて行く階段として適切な理論であった。つまり、自己実現という最終ゴールを目指して登ってゆく階段である。しかし、マズローの階段を上り詰めて人生を終わるには、われわれの人生は長くなり過ぎた。生まれたときにはすでにマズローの階段の真ん中くらいからスタートし、5段階目を目指す人も多いだろうし、そこまで上り詰める人もいるかもしれない。しかし、われわれの人生は長すぎて、次の一歩を踏み出してしまうのである。

 そう、下りの階段である。純粋階段は上り詰めると、今度は下り始めてしまうのだ。途中まで行って、そこから下り始める人もいるかもしれない。これが「マズローの純粋階段理論」である。われわれは欲求の階段を登ってまた降りるのだ。

マズローの純粋階段

 高齢者の預金は動かないと言われる。消費されることもなく、投資へ回ることもない。それは、人生が長すぎて、マズローの階段を下り始めてしまうからだ。自己実現のレベルに達したら、お金は貯め方ではなく、使い方だ。

 しかし、われわれは、年を取れば取るほど、安全の欲求、生理的欲求が頭を持ち上げ、お金を使うことができない。そう、後どれだけ生きるのか分からなくて不安になるのだ。そして、マズローの自己実現の階段は純粋階段に変貌するのだ。

 さて、今回「純粋階段」というものをやや否定的な文脈で取り上げているが、実は筆者は何の目的もなくただ存在する「純粋階段」という存在にとても惹かれてしまうのである。興味ある方は、「超芸術トマソン」を参照されたい。ではまた。

飯田哲夫(Tetsuo Iida)

電通国際情報サービスにてベンチャー企業投資、海外事業投資を担当。同社にて銀行系システムの開発を担当後、決済サービス分野を中心にソリューションの企画を手掛ける。2012年に金融イノベーションの活性化を目的として金融イノベーションビジネスカンファレンス(FIBC)を立ち上げ、2015年よりフィンテックベンチャーへの投資事業を開始。金融革新同友会「Finovators」副代表理事。マンチェスタービジネススクール卒業。知る人ぞ知る現代美術の老舗「美学校」にも在籍していた。報われることのない釣り師。

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