もし、知能(仮に「完全人工知能」と呼称する)が定義できたとする。すると、その完全人工知能は、自ら、知能を定義できることになる。すなわち、完全人工知能は、その体系の枠組みで、(矛盾なく)完全人工知能を定義できることになる。しかしながら、不完全性定理は、まさに、そうした体系を定義すること自体が不可能であることを示している。
こうした背景があるからこそ、知能(あるいは人工知能)の定義は、明確にされておらず、研究が進むほどに、その立場は多様化せざるを得ない。だがしかし、これは一方で、「要件を定義してシステムを設計する」という方法では、人工知能は決して実現しないことを意味している。これにより、知的活動は人間をはじめとする生命にのみ許された行為であることが理解できる。
問題設定と問題解決は人間にのみ許された能力
これまでの議論から、現在われわれが手にしている全ての計算機は「論理演算機」であること、計算機はアルゴリズム(計算方法)さえ与えればどんな論理演算も実現できること、計算機はアルゴリズムを人間が与えることによってはじめて動作する機械であること、知能は定義することすら不可能であることが理解された。
既に言及した通り、計算機は、何をすべきかを人間が詳細に与えてやれば、正確にその任務を遂行する一方で、厳密に記述されたアルゴリズムがなければ、計算機は動作を開始することができない。すなわち、アルゴリズムを与えるのは、人間にのみ許された能力であり、極端な表現を用いるならば、計算機は、人間が与えたアルゴリズムを遂行するにすぎないのである。
「アルゴリズム」というと、情報科学の特殊な技術のようにも聞こえかねないが、これは、「解くべき問題を設定し、解決する手法を決める作業」と言い換えると、あらゆる業務に関しても通じる作業である。
すなわち、情報技術の革新によって、さまざまな業務が自動化されてきているとはいえ、そもそも「解くべき問題を設定し、解決する手法を決める作業」は人間が行うべき領域であり、そうした文脈においては、どんな仕事も「機械に奪われる」ということは起こりえず、むしろ自動化する分、可能性が広がると考えるほうが適切ではないかと、個人的には考えている。
現在、多くの企業「人工知能」と称して開発している機械学習を用いたシステムによって、人間が与えたデータの中から隠れた関係性を自動的に推測することが可能になった。こうした技術の(詳細はさておき)エッセンスを理解したうえで、機械にどのようなデータを与え、得られた結果をどのように運用していくかを考えることをしなければ、機械を適切に利用できないばかりか、そうした機械を設計した設計者のいいなりになってしまうということを強調しておきたい。
とはいうものの、「解くべき問題を設定し、解決する手法を決める作業」自体は、トレーニングなしに誰にでもできる作業ではない。この作業に関しては、さまざまな分野に従事する専門家が、情報科学という社会的な要請と共に発展してきた研究分野の歴史をふかんすることで、その勘所を理解できるのではないかと考えられる。
次回以降の記事では、情報科学の歴史について俯瞰(ふかん)しながら、どのような考え方をすれば「解くべき問題を設定し、解決する手法を決める作業」を実施できるかを説明する。
- 松田 雄馬(工学博士)
- 2007年3月、京都大学大学院情報学研究科修士課程修了後、2007年4月、日本電気株式会社(NEC)中央研究所に入所。無線通信の研究を通して香港にて現地企業との共同研究に従事。その後、東北大学と共同で、脳型コンピュータの基礎研究プロジェクトを立ち上げる。 2015年6月、情報処理学会DICOMOにて同研究により優秀論文賞、最優秀プレゼンテーション賞を受賞。 2015年9月、東北大学にて博士号(工学)を取得。 2016年1月、日本電気株式会社(NEC)を退職し、独立。 現在、ラオスをはじめとする発展途上地域における情報技術の現状を調査するとともに、そうした地域ならではの新事業を創出する企業の設立準備を実施している。