コンペで負けた案件で、2年後にレスキュー要請
今筆者が所属しているシグマクシスでも数年前に印象的な案件があった。お客様B社の大型基幹システム再構築プロジェクト、シグマクシスとSIベンダーY社が最終コンペに残ったが、当社は「提案内容は良いが、なにしろ高すぎる」という理由で負けた。
正々堂々と戦って負けたのなら仕方ないと吹っ切って、何かあればまたお願いいたしますとその場から身を引いたのだが、既に稼働が始まっているはずの2年後に再び同じお客様が当社に現れた。「あのプロジェクトがうまくいっていない。なんとかできないか」――。切実な要請を受けて、筆者らはすぐに体制を整えて現場に飛びこんだ。
ふたを開けてみると、スケジュールは大幅遅延、設計フェーズが延々と続き、でもなぜそうなっているのか原因が誰にも究明できないという大変な事態に陥っていた。われわれは大至急調査分析とリプランを実施し、PMOとして仕切り直しをマネジメントした結果、SIベンダーY社と共に最終稼働までに持ち込んだ。
結果的にこのプロジェクトは、われわれがお客様に表彰される記念すべきプロジェクトとなったわけだが、お客様にとっては、当初の予定より2年の稼働遅れ、費用は当初の見積もりの2倍以上と時間もコストも大幅オーバーという負担を強いられる結果となった。
この件で興味深かったのは、これだけの大トラブルプロジェクトだったにも関わらず、PMOであとから救済に入った当社、もともとプロジェクトを仕切っていたSIベンダーY社、そしてお客様B社は、最終的にとても良好な関係を築いてプロジェクトを完了できたということだ。原因調査時点、計画の見直し直後はぎくしゃくした関係だったものの、仕切り直した後は目標を共有し、適材適所でのアサインメントでそれぞれが力を発揮し、ワンチームで取り組めたことが成功要因だったと思う。
ただし、そもそものトラブルの原因は、やはり「プロジェクトマネジメントの機能不全」だったことは、前述のケースとは変わらない。
トラブルプロジェクトでは、一体何が起きているのか。
ここで述べた2つのケース、1つは10年ほど前、もう1つは4年ほど前の話だ。しかし同じような現象は相変わらずあちらこちらで起きて、われわれはPMOとして走りまわっている。一体何が起きているのか。
過去の経験から共通にみられるのは、以下のような現象だ。
- ビジネスゴールが不明確
- スキルミスマッチなベンダー選定
- 実質的なプロジェクトリーダーの不在
- 事業部門とIT部門のコミュニケーション不足
- 要件定義における事業のキーマン不在
- 終わらない設計フェーズ
- 止まらないスケジュールと予算の超過
などなど……。こうしてみると「こんなことしていてプロジェクトがトラブらないわけがない」理由ばかりなのだが、「こうならないようにしましょう」といっても本質的な解決にはならないのは周知のとおりだ。
次回からは、「わかっているのに、なぜこうなってしまうのか」を具体的なケースから掘り下げて、そこに横たわる本質的な問題について考えてみたい。
- 座間利行 株式会社シグマクシス P2(Program&Project)シェルパ ディレクター
- 外資系メーカー、外資系コンサルティングファーム、ITベンダーのコンサルティング部門を経て現職に至る。主に、製造業(電機・電子部品、精密機器、医療機器、自動車)、およびエネルギー業界の企業に対し、業務改革、IT戦略策定、システムの導入、保守まで一貫したサービス提供を得意とする。また、大規模システム導入プロジェクトにおけるプロジェクトマネージャーの経験を多数有する。顧客企業のビジネスゴール達成まで、変革支援をさせていただく事をポリシーとしている。