デジタル化と大容量化がもたらしたもの
音楽の世界には早いうちからデジタル化の波がやってきて、アナログレコードは急激にCD(コンパクトディスク)に置き換わっていった。カセットテープもかなりの部分がMD(ミニディスク)に置き換えられた。
この置き換えであまり変わらなかった「課題」は、「メディアの入れ替えの手間」と「多数のメディアを持ち歩くのはかさばる」という点である。手持ちの全てのメディアを持ち歩くわけにはいかないので、出かける前に「どのメディアを持っていくか」を選ばねばならない。これは解決されるべき課題である。
これを解決したのが、iPodのようなハードディスク(HDD)搭載のプレーヤーである。
先行して半導体メモリを積んだデジタルオーディオプレーヤーは多数登場しており、音質の劣化を抑えた音声の圧縮技術の進歩もあり、メディアの入れ替えなしで聞ける容量は増えていたが、HDDの搭載は一気に「所有する全ての楽曲」を持ち歩くことを可能にした。そしてもちろん、メディアの入れ替えなしにどの楽曲も聞くことができる。
所有するCDなどを一旦全てPCに取り込む必要があるのでその部分は大きな手間であったが、そこを乗り越えた後に期待されるUXはとても魅力的である。加えて、楽曲をオンライン販売する iTunes Storeとの連携もよくできており、iPodのヒットは総合的なUX設計の勝利だったと思われる。
UX 的な失敗例
デジタル化されたコンテンツは本質的に劣化なしに複製可能なので、コンテンツを販売する側の企業は、違法コピーなどが出回らないよう(コンテンツ提供側の「課題」である)、デジタルオーディオプレーヤーのためのコンテンツの扱いに制限をかけようとした。
それ自体はもちろん悪いことではないが、その制限のかけ方がユーザー(合法的に聞きたいユーザー)にとって不便で、悪UXをもたらすものであれば、受け入れられがたいことは容易に想像できるであろう。
実際、さまざまな制限を持ったデジタルオーディオプレーヤーが登場したが、ユーザー側の視点から見て過剰と思われる制限・制約のあったものはことごとく失敗した。
例えば、あるプレーヤーは、自分の音楽ライブラリを管理するPCからプレーヤーに曲を入れると、その曲はPCに「戻す」までPCでは再生できないというような制限があった。ユーザーからすると、解決されるべき課題(制約)が、すっきりと解決されずに他の制約に置き換えられたようなものである。
物理的な媒体であればプレーヤーから取り出すことは容易に納得可能であるが、デジタルデータをわざわざ「取り出して戻す」ような操作は、メンタルモデルとして納得しがたいであろう。
UXをきちんと考慮しなかったために失敗した、わかりやすい例である。