シャッフル再生
さて、全曲持ち歩けるようになり、出かける前に持っていくもの(媒体)を選ぶ必要がなくなったが、そうなると聞く曲も自分で選ばずにプレーヤーに委ねるということも可能になる。
シャッフル再生という機能はCDが登場したころからあったが、広く利用されるようになったのはこの頃からであろう。次に聞く曲、次に聞くアルバムを途中で明示的に選ばずに途切れなく聴き続けられるというのは、長時間の移動などにおいて快適なUXを提供できる。
シャッフル再生で(何かの順に沿って再生するのでも)長時間聞き続ければ自分が持っている「全曲」を聞くことができるが、出かけている間に聞ける曲数は限られている。ならば、予めシャッフルしておいた、出かけている時間分だけの曲データを持ち歩いても、(その準備がユーザーの手を煩わせずにできれば)実質的には同じであろう。それが、iPodに対する、iPod shuffleである。
家にいる間に同期しておく必要はあるが、充電と連動しており手間ではない。小さく、バッテリーの持ちもよく、シャッフル再生だけでよければiPodよりも良いUXを提供できた。状況を限定することで、うまく課題(大きさや稼働時間)を解決している。
ネットワーク化、「所有」する必要性
「それほど多くの曲を所有している」というのはもはや若い世代の人々にはあまりピンとこないかもしれない。モバイル環境でのネットワークやクラウドの普及により、「同期」は外出時でもできるようになり、必要が生じたときに行えばよくなった(持ち歩かなくてもよい)。また、ストリーミングサービスも普及し、楽曲を購入しておいて聞くという必要性が薄れたのである。所有するものを選ぶ必要がなくなってきたと言い換えてもよい。
レコードやCDが媒体の主流だったころは数曲~10曲程度の曲を収録した「アルバム」の重要性が高かったが、こうした環境の変化により、個々の曲の相対的な重要性が高くなっている。また、ビジネスとしてもライブなどの体験の場の提供の比重が上がっており、音楽プレーヤーにとどまらず、音楽に関わる体験全体もいろいろと変わっている。
ある意味で、レコードとラジオが争った状況やレコード以前の世界に似た状況へ戻ったともとらえられるが、技術の発展がさまざまな要素のバランスを変え、最適あるいは最も利用されるスタイル、求められるより良いUXというのがそれにつれて変化するのである。
最後に
物理的なパッケージメディアでの配信から、ネットワークを通じた提供、そしてサブスクリプションモデルへというような流通の変化をしているコンピュータのアプリケーションの世界も、ここまで説明したような音楽の世界と似た要素が多いといえる。
UXを考えずにガチガチの制約を掛けようとしてうまく行かなかった例などは、今後の業務用システムの改善・効率化の際にも他山の石とすべきであろう。不必要に高いコストをユーザーに強いて、結局うまく運用されない・使われないシステムなどを開発、導入しないよう、UXからよく考慮し、デザインしていただきたい。
- 綾塚 祐二
- 東京大学大学院理学系研究科情報科学専攻修了。ソニーコンピュータサイエンス研究所、トヨタIT開発センター、ISID オープンイノベーションラボを経て、現在、株式会社クレスコ、技術研究所副所長。HCI が専門で、GUI、実世界指向インターフェース、拡張現実感、写真を用いたコミュニケーションなどの研究を行ってきている。