コストが理由でLinuxの世界に飛び込んだパイオニアは同氏だけではない。そういったパイオニアの1人である、SUSEの製品およびテクノロジプログラム担当シニアディレクターGerald Pfeifer氏は次のように述べている。
私は、Linuxが有名になるずっと前から、それこそこの世に登場する何年も前から伝統的なUNIXシステム(DECのシステムや「Solaris」など)を使っていた。博士課程の研究を進めながら、ウィーン工科大学の講師を務めていた時には、Solarisワークステーションを使用していたが、それらは高価であり、処理速度も満足いくものではなかったため、業界標準のハードウェア(すなわちx86)で置き換えていくことになった。最初は「FreeBSD」だったが、その後Linuxになった。
今日ではみんな忘れてしまっているが、90年代にLinuxが魅力的だったのは、ハイエンドのUNIXシステムよりもずっと安価だという理由もあった。「OS X」の前身である「NeXTSTEP」や、「SCO OpenServer」、「Dell SVR4」(そう、Dellも独自のUNIXを提供していたのだ)といったx86プロセッサ上で稼働するUNIXシステムも存在していたが、使っているユーザーは多いと言えなかった。また、当時は「BSD UNIX」という選択肢もあり、ある程度の支持を得ていたが、Linuxは登場するやいなやあっという間に人気をさらった。
Bottomley氏は、Linuxが「その他のオープンソースOSすべての影を薄くし、その状態を維持し続けた」点にいまだに驚きを感じているという。同氏は次のように続けている。
1992年当時、UNIX Systems Laboratories(USL)がBSDを相手取って起こした訴訟が終結に向かい始めたため、Pentium搭載システム向け無償OSの検討対象は当初、BSDになっていた。しかしAT&Tが法廷での争いに固執した結果、検討対象はBSDではなくLinuxになった。試用のきっかけはこの偶然とも言える出来事だったが、Linxuは十分に使えると分かった。また、「386BSD」は軌道に乗らずじまいだったため、Linuxを配備した後、そのまま使用し続けるという結論に達した。x86向けの他のBSDも後から登場したものの、遅きに失していたうえ、あまりにも力不足だった。Linuxが途中でつまづき、BSDが逆転する可能性もあったが、そうはならなかった。初期の頃における基本的な意思決定はすべて、概ね正しかったというわけだ。この業界において、こういったことがどれだけ珍しいのかは、想像もつかないだろう。