全体と個が融合する「インドラの網」としてのインターネット
前編の最後にフランスの作家であるVictor Hugo(ヴィクトル・ユゴー)が小説「ノートルダム・デ・パリ」(1831年)の中で、15世紀のパリの街並みや大通りを「大動脈」や絡み合う「血管」と表現している一節を引用したが、往々にして人間はモノ/ヒト/コトといった情報の流れを何かしら有機的なものにたとえたりなぞらえたりする傾向があるようだ。
考えてみれば私たちの身体自体が脳を中央制御室とした精緻を極めた情報処理システムとして機能しているわけだから、情報の相互関係や情報の相互伝達を生命的なイメージに置き換えるのはごく当たり前のことなのかもしれない。
そして地球を皮膜のように覆う情報の網の目=インターネットは人間の脳神経系としてイメージされる。そのイメージが来るべき第二四半世紀には、単なるメタファーの域を超えて、現実に私たちの脳神経系と接続されていくだろう。
前編でも述べたように、「人間自らが単独で思考しているのかインターネットによって思考を促され導かれているのか容易には見極めがつかない世界」や、「人間的なものがインターネットの中に流れ込み人間の内にインターネット的なものが混ざり込むような世界」に私たちはもうなかば突入していると言っていい。
宮澤賢治の短編小説に「インドラの網」という美しい作品がある。中央アジアを彷彿とさせる架空の高原を1人あてどなく彷徨する主人公の私は、偶然たどり着いた湖のほとりで3人の天の子供たちと出会う。そこで私と3人の子供たちは日の出を待つが、東の空から昇った太陽の光に恍惚となる中、ひとりの子供が天空を見上げながら以下のようにつぶやく。
「ごらん、そら、インドラの網を。」
私は空を見ました。いまはすっかり青ぞらに変ったその天頂から四方の青白い天末までいちめんはられたインドラのスペクトル製の網、その繊維は蜘蛛のより細く、その組織は菌糸より緻密に、透明清澄で黄金でまた青く幾億互に交錯し光って顫えて燃えました。

「銀河鉄道の夜」や「注文の多い料理店」などで有名な宮澤賢治の小説「インドラの網」。非常に短い作品だが、あたかも「インドラの網」は地球を覆う情報の網の目=WWWとその中に織り込まれた私たち個々の人間との関係を象徴しているようだ(Amazon提供)