研究現場から見たAI

何でも「人工知能」と呼ばれてしまうその理由--AIブームの功罪 - (page 2)

松田雄馬

2016-12-22 07:00

 とは言え、こうした、「ITシステムが『人工知能』と呼ばれる風潮」には、一応の歴史的背景が存在する。哲学者John R. Searleは、Minds, Brains, and Programsという論文の中で、「人工知能とは何か」を考察し、その中で、「強い人工知能(Strong AI)」「弱い人工知能(Weak AI)」という「人工知能」に関する2つの考え方を示した。それらの意味は、次の通りである。

  • 強い人工知能 (Strong AI):知能を持つ機械(精神を宿す)
  • 弱い人工知能 (Weak AI):人間の知能の代わりの一部を行う機械

 人間のような知能、すなわち「強い人工知能」は、未だ実現されていない一方で、Searleの定義によるならば、「弱い人工知能」というものは、既に多くのものが実現されているということになる。

 例えば、チェスや将棋や囲碁を行う機械は、人間の「知能」のすべてを担うわけではない(小説が読めるわけではなく、作曲ができるわけでもない)が、人間の「知能」のうちの一部である、将棋や囲碁といった、ルールが与えられたうえでの問題解決は可能である。

 冒頭の「小説を書く」「作曲をする」「経営判断をする」「進路を選択する」といったことが“可能”な「人工知能」とは何かを考えてみよう。


 小説を書くとは、「(これまで学んだ日本語に基づいて)日本語を適切に並べていくことで文章を出力する」こと。

 作曲をするとは「(これまで耳にしてきた曲のリズムに基づいて)音符を適切に並べていくことで曲を出力する」。

 経営判断をするとは「キーワードに基づいて、それに関係する文章を、ウェブ上から探し出す」。

 進路を選択するとは「希望する条件に基づいて、会社情報データベースから、適切な会社を探し出す」という活動を指す。

 これらを機械が代替することで、人間の知的活動のうちの一部を担い、人間をサポートする「弱い人工知能」ということになる。

 もちろん、こうしたSearleの定義によれば、Microsoft Wordなどのワープロソフトも、人間の「文字を書く」という知的活動の代替ということになり、「知能の代わりの一部」を担うという観点から、「弱い人工知能」に分類される。

 同様に考えていくと、あらゆるアプリケーション・ソフトウェアは、人間の知能の代わりの一部を行う「弱い人工知能」に分類せざるを得ない。

 こうした観点から、極々単純なスマホアプリやプログラムを開発しても「人工知能を開発した」と言えてしまう。もちろん、世の中では、さすがに、あらゆるソフトウェアを「人工知能」と呼んでいるわけではなく、機械学習など、何らかのデータに基づく「出力」を行うものを、「人工知能」と呼ぶ風潮があるようではある。

 いずれにしても、何が人工知能なのかがわからなくなるほど、「何でも『人工知能』と呼ぶ」風潮が見られるとすれば、「弱い人工知能」の定義の影響が大きいということは否定できない。

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