ポスト真実の意味は「Truth」自体を疑うことである
批判や忌避、嫌悪や呪詛から可能な限り距離を保ちつつ、もう後戻りできないインターネット上の言説空間=Post-truthをどう受け止め、視界を悪化させる濃霧に包囲されているかのような情報環境の中で私たちはどう振る舞えばよいのか……。
「TwitterやFacebookで投稿する際はなるべくその論拠を明確にしましょう」とか「相手を批判するときはかならずその代案を提示しましょう」などという呑気な正論がまったく通用しないのが「Post-truth」なのである。
筆者自身、1日に数回はつまらない私見を酔った勢いにまかせたりしてTwitterやFacebookで垂れ流している。もちろんそれらをことごとく熟考したり検証したりなどしていない。
時折、政治的な問題などで発言する際はそれなりに最低限の注意を払ったりするけれども、毎日、毎回、そんな枷(かせ)を自らにはめていてはとてもではないがソーシャルメディアでの投稿などできたものではないだろう。
インターネットを再考する上で参考になる筆者の著作「メディア、編集、テクノロジー (高橋 幸治)」
「私が思ったこと」「私が感じたこと」を自由に吐露する権利を抑制したり禁止したりすることなど誰にもできない。
重要なのはPost-truthを悲観したり悲嘆したりすることではなく、そもそも「Truth」とは何かを疑うことではないか。真実はひとつで、真実ではないこと=虚偽を大多数の大衆が無責任に喧伝して回っている……という認識の仕方では、結果として、言論の抑圧や封殺という望ましいとは言えない負のサイクルを招く可能性も出てくる。
言論の自由がある限り、誰が何を述べようと、プライバシーなどの公共の福祉に反しない限り自由であることは、インターネットでも同じなのである。
ただ、誰もがメディアになれるというインターネットの環境が登場するまでは、それが問題になる事柄が今ほど多くなかったということである。
<後編に続く>
- 高橋幸治
- 編集者/文筆家/メディアプランナー/クリエイティブディレクター。1968年、埼玉県生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒業後、1992年、電通入社。CMプランナー/コピーライターとして活動したのち、1995年、アスキー入社。2001年から2007年までMacとクリエイティブカルチャーをテーマとした異色のPC誌「MacPower」編集長。2008年、独立。以降、「編集=情報デザイン」をコンセプトに主にデジタルメディアの編集長/クリエイティブディレクター/メディアプランナーとして企業のメディア戦略などを数多く手がける。本業のかたわら日本大学芸術学部文芸学科、横浜美術大学美術学部美術・デザイン学科にて非常勤講師もつとめる。「エディターシップの可能性」を探求するセミナー「Editors' Lounge」主宰。著書に「メディア、編集、テクノロジー」(クロスメディア・バブリッシング刊)がある。