人が覚醒しなければ意味が無い
ではデジタルなものが全部勝利するのか、というとそう単純ではない。正確に言えば、単にデジタル化しただけでは変革は起こり得ない。デジタルテクノロジによって”ヒト”の意識や行動、価値観が変化してこそデジタイゼーションと呼べるのである。
例としてウェアラブル端末を挙げよう。個人的見解で恐縮だが、筆者はウェアラブルは「来ない」と考えている。腕時計型、メガネ型、下着型、靴型――幾つかのパターンがあるが、唯一成功の目があるとすれば腕時計型のみであり、他は10年後に「そんなのあったね」と懐かしまれるだけのアイテムになるだろうと確信している。
その理由は”ヒトの摂理に反しているから”……。単純にたったこれだけである。言い換えれば、この製品やサービスは”ヒトにとって不自然すぎるので”人類を覚醒に導いてくれないのである。
前節で論じたとおり、変革派(覚醒サイド)と保守派(既得権益サイド)に分かれた戦いになった際には必ず変革派が勝利する。しかし、ウェアラブルは変革派と保守派の戦いにすらなっていない。
ヒトの心拍数、活動量、歩行数、発汗量、体温などウェアラブル端末が取得する幾つかの情報で組み立てられる健康系の製品やサービスが多いが、ブレイクの兆しが見え、生活必需化しそうなサービスはまだ存在しない。
しかも、本当に”ウェアラブル端末”でければ取得できない情報だろうか。カメラ画像で心拍数を推定するアプリも存在するし、遠隔で温度を測る技術もあるし、スマホの位置情報をたどれば何歩歩いたかはおおよそ想像が付く。

Googleglassは「来なかった」
必需となるサービスもないのに、あえて不自然で面倒な思いをしてまで腕時計以外のものを習慣的に身につけるようになるとは到底思えないので、筆者は「来ない」と断じているのである。
腕時計も、Apple Watchのようなスマホ拡張型のデバイスでは”覚醒”は起きない。Apple Watch単体でも買ってしまうような強烈な”何か”を、あのAppleですらまだデザインできていない、ということなのだろう。
もう一つ、興味深い例がある。先日、某大手SNSのスマホ用アプリケーションが、周囲の音声を勝手に拾って広告を出しているのではないか、という疑惑が持ち上がった。
もちろん、そんな非倫理的なやり方が受け入れられるはずもなく、その大手のSNS提供者はすぐさま否定のコメントを出して事態の収拾を図ったわけだが、筆者の興味は別のところにある。もし、これが正式なサービスとして展開されたら、われわれは受け入れることができるのだろうか。
多くの人はNoを突きつけるだろう。なぜならば「盗聴されているようで気持ち悪いから」である。これには一定の理解はできる。しかし、例えばStar Warsに登場する愛嬌(あいきょう)のあるロボット(R2-D2やBB-8)が、こちらの「のどが渇いたなぁ」などの独り言に反応して「お水を注文しましょうか?」と聞いてきたら、悪い気はしないのではないだろうか。