「情報の公開」が主役の時代から「情報の保守」が主役の時代へ
こうした情報の保守と盗用、秘匿と漏えい、管理と流出との戦いはインターネットによる情報爆発時代にも当然のことながら繰り広げられており、前者の意思が後者の欲望に敗北してしまったニュースは日々私たちのもとにニュースとして届けられる。
しかもそれが国家ぐるみで仕組まれていたというにわかには信じ難い問題もあり、いまさら述べるまでもなく、2013年のエドワード・スノーデンによる暴露騒動は全世界を震撼させた。
以降も2014年公開のドキュメンタリー映画「シチズン・フォー スノーデンの暴露」(日本公開は2016年)やオリバー・ストーン監督による2016年公開の映画「スノーデン」(日本公開は2017年)などによって、インターネットが不可避的に孕(はら)む“個人の自由と拡大”と“個人の危機の増大”はいまなお問い掛けられ続けている。
ドキュメンタリー映画「シチズン・フォー スノーデンの暴露」はすでにDVD化されているが、オリバー・ストーン監督の「スノーデン」も7月5日にDVDとBlu-rayが発売予定とのこと。個人的な感想として「スノーデン」は映画的に優れているか否かはいささか微妙だが、対岸の火事ではないという意識を喚起するうえでも観ておいて損はないと思う
しかしこと日本に関しては、あらゆる資産、富、財産がデータ化される現代にあってもこの情報の保守、秘匿、管理に対する意識はあまり昂揚する気配が感じられない。
筆者が2016年10月に参加したベルリンにおける国際会議においては「あらゆる個人情報が国家や企業によって吸い上げられる現代において、いかにプライバシーを堅持できるか?」という課題は相当に逼迫した論題として討議されていた。
ところが我が国においてはどこかに「自分ごときの情報など流出したところで大したことはない」といった感覚や、「便利なサービスを享受できるのであれば多少の犠牲は仕方がない」といった諦念と共に等閑(とうかん)に付されがちだ。
もちろん、暗号化のテクノロジや認証手続きの精緻化は日々進歩しているものの、セキュリティはあくまでもバックエンドの技術であり、ユーザーが直接関与するフロントエンドの技術に対する関心のほうが格段に高いことは事実である。