Rethink Internet:インターネット再考

夏目漱石と寺田寅彦--サイエンスとアートのハイブリッド的視座 - (page 2)

高橋幸治

2017-12-16 07:30

 それはそれで間違った認識ではないし、否定すべきものでも、悲観すべきものでもない。しかし、科学「的」ではない視座から科学を芸術「的」に把捉することが不当に排除されてはならないだろう。なぜなら、本来、科学と芸術の間には両者の志向や姿勢における「差異性」と同程度に「共通性」が伏在しているからである。

 理系的な思考が芸術を活性化している現況の中にあって、芸術的な感性が科学を豊饒化することも決して忘れてはならない。これは言い換えれば、芸術は世間一般で信じられているほど非論理的なものではないし、科学もまた同様に徹頭徹尾ロジカルなものに立脚しているわけではないということでもある。

 寅彦は『科学者と芸術家』の中で「夏目漱石先生がかつて科学者と芸術家とは、その職業と嗜好を完全に一致させうるという点において共通なものであるという意味の講演をされた事があると記憶している」と書いているが、その講演が果たしていつのどの講演か筆者は寡聞にして同定できない。しかし、大正3年(1914年)に東京高等工業学校(現在の東京工業大学)で行われた講演(タイトルは『無題』)で、漱石は「私は専門があなた方とは全然違っています。こんな機会でなければ、顔を合わすことはないでしょう」と前置きしながらも、最後には「あなた方と私共の職業の違いから、この講演で私は私共の方を詳しく説明しましたが、あなた方の方も或る程度までは応用がきくはずです。あなた方の職業の方面に於いて、幾分か参考になることがあるでしょう」と締め括っている。

 そもそも漱石は前述の通り英国留学時のロンドンで物理化学者の池田菊苗と懇意な関係を持ったり、科学に対してひとかたならぬ関心を抱いていた。明治34年(1901年)9月12日、ロンドンから寺田寅彦に宛ての書簡では「本日の新聞でProf.Ru?ckerのBritish AssociationでやったAtomic Theoryに関する演説を読んだ。大に面白い。僕も何か科学がやりたくなった」と綴っているほどである。絶筆となった『明暗』にも主人公・津田とその友人の会話の回想として以下のような記述がある。

 彼の頭は彼の乗っている電車のように、自分自身の軌道の上を走って前へ進むだけであった。彼は二三日前ある友達から聞いたポアンカレーの話を思い出した。彼のために「偶然」の意味を説明してくれたその友達は彼に向ってこう云った。

 「だから君、普通世間で偶然だ偶然だという、いわゆる偶然の出来事というのは、ポアンカレーの説によると、原因があまりに複雑過ぎてちょっと見当がつかない時に云うのだね。ナポレオンが生れるためには或特別の卵と或特別の精虫の配合が必要で、その必要な配合が出来得るためには、またどんな条件が必要であったかと考えて見ると、ほとんど想像がつかないだろう」

 ここで引き合いに出されているのは『科学の価値』(岩波文庫)の著者であり「ポアンカレ予想」で有名なフランスの数学者アンリ・ポアンカレである。また、処女作『吾輩は猫である』の中には理学士・水島寒月が「首縊りの力学」という理論についての講演のリハーサルを苦沙弥先生と美学者・迷亭を相手に長々と行う場面があったり、『それから』『門』へと続く『前期三部作』の第一作『三四郎』においては理科大学の「穴倉」で「光線の圧力」について黙々と研究する野々宮宗八という人物が登場するなど、小説内においても科学というモチーフが随所でひょっこりと顔を出す。

 ちなみに水島寒月と野々宮宗八は、誰あろう寺田寅彦がモデルであると言われている。このあたりのエピソードについては、寅彦の門下生で人工雪の生成に世界で始めて成功した物理学者・中谷宇吉郎の随筆『「光線の圧力」の話』(講談社学術文庫『寺田寅彦 わが師の追想』所収)などに詳しい。


寺田寅彦の教え子の一人である物理学者・中谷宇吉郎によるエッセイ集。本文の中で紹介した『「光線の圧力」の話』のほかにも『寒月の「首縊りの力学」その他』が収録されている

ZDNET Japan 記事を毎朝メールでまとめ読み(登録無料)

ホワイトペーパー

新着

ランキング

  1. セキュリティ

    「デジタル・フォレンジック」から始まるセキュリティ災禍論--活用したいIT業界の防災マニュアル

  2. 運用管理

    「無線LANがつながらない」という問い合わせにAIで対応、トラブル解決の切り札とは

  3. 運用管理

    Oracle DatabaseのAzure移行時におけるポイント、移行前に確認しておきたい障害対策

  4. 運用管理

    Google Chrome ブラウザ がセキュリティを強化、ゼロトラスト移行で高まるブラウザの重要性

  5. ビジネスアプリケーション

    技術進化でさらに発展するデータサイエンス/アナリティクス、最新の6大トレンドを解説

ZDNET Japan クイックポール

注目している大規模言語モデル(LLM)を教えてください

NEWSLETTERS

エンタープライズ・コンピューティングの最前線を配信

ZDNET Japanは、CIOとITマネージャーを対象に、ビジネス課題の解決とITを活用した新たな価値創造を支援します。
ITビジネス全般については、CNET Japanをご覧ください。

このサイトでは、利用状況の把握や広告配信などのために、Cookieなどを使用してアクセスデータを取得・利用しています。 これ以降ページを遷移した場合、Cookieなどの設定や使用に同意したことになります。
Cookieなどの設定や使用の詳細、オプトアウトについては詳細をご覧ください。
[ 閉じる ]