革命には起こりがちなことだが、フリーソフトウェアの支持者も、すぐにいくつかの陣営に分裂した。オープンソースのエキスパートであり、Glyptodonの戦略アドバイザーでもあるJohn Mark Walker氏が最近書いたように、フリーソフトウェアは「ビジネスにまったく関心を持たない社会運動であり、この運動は、宗教や哲学と同じ次元に存在している。フリーソフトウェアは、強い道徳規範を持つ1つの生き方だ」という性質を持っていた。
だが、ビジネスに「フリーソフトウェア」を持ち込みたいと考える人も多くおり、それらの人たちが「オープンソース」の創始者になった。彼らは「フリー(free)は自由(freedom)のフリーだ」「言論の自由(free)のフリーであって、無料ビール(free beer)のフリーではない」などの説明は、多くの人をかえって混乱させたと主張した。
ウェブブラウザ「Netscape」のソースコードの公開は、1998年2月3日にカリフォルニア州パロアルトで開催された、フリーソフトウェア界のリーダーや専門家が集まった、戦略について議論するミーティングにつながった。このミーティングには、Eric S. Raymond氏、Michael Tiemann氏、Todd Anderson氏、Jon "maddog" Hall氏、Larry Augustin氏、Sam Ockman氏、Christine Peterson氏などが集まり、そこでオープンソースの最初の1歩が踏み出された。
「オープンソース」という言葉を生み出したのはPeterson氏だ。同氏は、次のように当時を振り返っている。
「オープンソースソフトウェア」という用語の導入は、その努力傾注分野を新規参入者や企業が理解しやすいものにするための慎重に練り上げられた取り組みであり、より広範なユーザーのコミュニティに考え方を広めていくには、そのような取り組みが必要だと考えられていた。それまで使われていた「フリーソフトウェア」という言葉の問題は、その政治的な含意よりも、むしろ新規参入者に重要なのは無料であることのように感じさせてしまうことだった。重要なのはソースコードであることを強調でき、この概念を知らなかった人をあまり混乱させない用語が必要だった。適切なタイミングで登場し、それらの要件を満たした最初の用語である「オープンソース」という言葉は、急速に普及した。
何がオープンソースであり、何がそうでないかを明確にするため、Raymond氏とBruce Perens氏は、Open Source Initiative(OSI)を設立した。その目的は、真のオープンソフトウェアライセンスはどんなものであり、何が違うかを定義することであり、それは今でも変わっていない。