Rethink Internet:インターネット再考

テクノロジーの社会実装と、社会という生体の免疫システム - (page 2)

高橋幸治

2018-02-24 07:30

「自己」を規定しているのは脳ではなく免疫システムである

 

 数十年という長いスパンで時代を俯瞰すれば、“テクノロジによって人間の思考や認識、知覚、行動は変化する”という技術決定論を持ち出して私たちがこれから直面するであろう具体的な問題に抽象性の衣を被せてしまうことも可能かもしれないが、今後しばらく、私たちは極めて難しい社会全体の移植手術を幾度も身をもって経験するはずである。社会という生体システムの中にこれまで経験したことのない異物が混入してくるわけだから(くれぐれも言っておくが、「異物」=「害悪」という意味ではない)、体内にその抗体が生成されるまでにはある程度の時間が必要となる。

 これまで営々と継承されてきた社会の倫理/道徳/常識の類は思いのほか強固なものである。経済的な側面においては、それはある種の既得権益だったりするかもしれない。そうした「現在」の中に「未来」が実際に注入されたとき、かならずしも緩慢な馴致と共に双方が溶け合ったり譲り合ったり移り変わったりするとは限らない。最悪の場合、極端な排除の力が発動されるケースも想定される。

 免疫学者である多田富雄氏は『免疫の意味論』(青土社)の中で「自己」と「非自己」を峻別するのは脳ではなく免疫系であると述べており、自己の免疫力の非合理ともいえる不寛容さの例として以下のようなエピソードを挙げている。少々長くなるが興味深い話であり専門的な用語も含まれているため、影響のない範囲で途中を端折りながらそのまま引用する。以下、「自己(ニワトリのヒヨコの免疫系)=現在」「非自己(ヒヨコに移植されたウズラの脳細胞)=未来」と置き換えて読んでいただきたい。

 孵卵二、三日目のウズラ胚には、やがて脳を作るはずの脳胞という組織ができる。その中脳胞と呼ばれる部分の一部を切りとり、同じ時期のニワトリ胚の中脳胞の部分に移植する。すると、ウズラの脳胞に含まれていた細胞はニワトリの胚の中で、脳やその付属器官、例えば眼球の一部である網膜や、皮膚や羽毛の色素細胞などに分化する。こうして菱脳、小脳、中脳、間脳などがウズラ由来というニワトリが作り出される。(中略)

 ウズラの脳が移植されたニワトリは、どんな行動様式をとるだろうか。

 ウズラのヒナと、ニワトリのヒヨコは鳴き方が違う。ニワトリはピー、ピーと一声ずつ鳴くのに対し、ウズラはピッピピーと文節を作って断続的に鳴く。

 ウズラの脳を持ったニワトリのヒヨコはどう鳴くのだろうか。

 正確に声紋を記録するソノグラフ使って解析すると、多くの場合ウズラと同様に断続的に鳴くのである。その声は、ニワトリの器官を使って発せられるのだから、ニワトリと同じ高さ、同じ音質であるが、鳴き方はウズラに酷似している。

(中略)

 それ以上の行動の研究はまだ報告されていない。理由は、このキメラ動物が、生後十数日で死んでしまうからである。死因は、移植されたウズラの脳が、ニワトリの免疫系によって拒絶されることによって起こる脳機能障害である。(中略)

 しかし、ここではっきりしたことは、固体の行動様式、いわば精神的「自己」を支配している脳が、もうひとつの「自己」を規定する免疫系によって、いともやすやすと「非自己」として排除されてしまうことである。つまり、身体的に「自己」を規定しているのは免疫系であって、脳ではないのである。脳は免疫系を拒絶できないが、免疫系は脳を異物として拒絶したのである。


免疫学者・多田富雄氏の主著『免疫の意味論』(青土社)。出版年は1993年だから免疫学自体もこの時代から進化を遂げているのだろうが、身体論、存在論、生命論としていま読んでも有効である

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