何らかの動作や操作、作業などを「最初から」うまくできる人間はそう多くない。何度も繰り返し練習したり、工夫したりしているうちに段々とうまくなっていくものである。そこから得られる「習熟感・上達感」は人間にとって楽しみの一種であり、「モチベーション」や「達成感」をもたらす。そして、ユーザー体験(UX)の面でもプラスに働く。今回はこれをテーマに考える。
「うまくやる」とは何か
そもそも何かを「うまくやる」というのはどういうことだろうか。「『自動化』と『やっている感』--UI/UXで考えるシステムと人間の関わり方」で詳説しているが、ユーザーの意図に基づく操作・動作によって、思い通りの結果をスムーズに引き出せる状態といえるだろう。
逆に、意図と結果にズレがあると「うまくいっていない」というわけだ。そうしたズレを少なくしたりなくしたりするように、操作や動作を意識的・無意識的に修正・学習していく。
ちなみに、昨今話題になることの多い機械学習技術においても、さまざまな入力に対して「求める結果とのズレ」を少なくするための修正を重ねていくという点でとてもよく似ている。
機械学習の場合は、数式と計算を使って学習を進めるが、人間の場合は「感覚」や「推論」などに頼りながら学んでいく。学習課程においては、必ずしもズレが少なくなっていくとは限らず、ときにはいろいろと試行錯誤をしなければならない。あるいは、ズレを修正するための方向性は分かっていても、それを実行できないこともある。
ユーザーは自分が上達していると実感できれば、満足感を得られるし、モチベーションも上昇する。逆に、そうした実感を得られないとユーザーは次第に不満を感じ、やる気もどんどんと下がっていってしまう。
システムやアプリにも影響
上述の話はゲームやスポーツなど、身体動作や操作能力、瞬時の判断が求められる状況において重要になる。しかしこれらは、動作や操作の比重の低い場面でも「うまくできない → できる」を、「分からない → 分かる」や「理解できない → できる」と読み替えれば通用することが多い。
例えば、いつまでたっても使い慣れないシステム、いつもと違うことをするととたんに使い方が分からなくなってしまうアプリケーションなどは、ユーザーが上達感(習熟感)を得にくく、モチベーションも上がらない。それはすなわち、優れたUI/UXをデザインできていないということである。
いつもと違うことをやるときに、たとえそれが初めてであっても普段のやり方から類推してスムーズにできる、つまりそれまでの学習内容を応用できるというのは、ユーザーに上達感や習熟感を与える大きな要素となる。そのためには、システムやアプリケーションのUIデザインにおける統一性や検索性などが大きな影響を及ぼすのは言うまでもない。
つまり、ユーザーが習熟感を得やすいか、メンタルモデルを構築しやすいかどうかは、UIの部分も含めてシステムやアプリケーションのデザインが優れているかどうかの指標の一つになる。
そうした観点でUIなどのデザインを考えれば、ヒューマンエラーの防止にもつながる。「間違えたり」「迷ったり」「失敗したり」せずに使えるという感覚は安心感ももたらし、結果的にミスを防ぐことになる。
上達感の補正
ここまで、上達感や習熟感が得られることのメリットを論じてきたが、その効果は実際にどれほどあるのだろうか。ここで興味深い研究を紹介する。ユニティ・テクノロジーズ・ジャパンの簗瀬洋平氏らによる「誰でも神プレイできるジャンプアクションゲーム」という研究である。
これは、ボタン操作でジャンプのタイミングと高さを調整し、ターゲットを取得するというゲーム。複数回の試行で2回目以降に補正を加えることで実際の操作よりも良い結果をユーザーに見せて上達感を演出し、その効果を検証するというものだ。
補正の違和感を覚えさせないようにするため、実際の操作と理想の操作との差を少なくし、補正の強さも変えられるようにしている。補正の有無によって得点や操作感・上達感にどのような違いが現れるかを実験し、狙い通りに上達感を与えられていることや実際の習熟度には悪影響を及ぼしていないことなどが確認されている。詳細は論文を読んでいただきたい。
簗瀬氏はこの研究に先行して「誰でも神プレイできるシューティングゲーム」という研究も実施している。こちらは多数の敵機の撃つ弾を回避しつつ、ターゲットを取得するというものだが、実は敵機の弾には「ユーザーの操作次第で当たるもの」と「ユーザーがどう操作しても当たらないもの」が混ざっている。
その2種類の弾の割合を変えることで「実際のプレイの難易度」と「見た目の難易度」を別々に調整できる。すなわち、見た目には多くの弾が雨あられと降り注ぎ難易度が高そうだが、容易に高得点を取得できるという状況を作り出せる。そして、その調整度合いを変化させることで、初心者にも「熟練者と同じようにうまくプレイできている」と思わせられるわけだ。