有力IT企業が新しいビジネスモデルの創出に動き始めた。収益源のシステムインテグレーション(SI)事業が大きな曲がり角に来たからだ。そんな認識を持つ1社のNECは2019年5月、創薬事業への本格参入を発表した。なぜ、顧客企業の支援ビジネスから顧客企業の事業領域に踏み込むことにしたのだろう。新規ビジネスの立ち上げを担うビジネスイノベーションユニットを担当する藤川修執行役員はこのほど、筆者に「2025年に事業価値3000億円を目指す」と、事業構造転換の決意を語った。
NECが創薬事業に参入した理由
NECの業績は低迷を続けている。この十数年間、事業の売却と人員削減を繰り返し、5兆円以上あった売り上げは3兆円を割り込んでしまった。目標の営業利益率5%をいつまでも達成できないのは、ハードウェアやソフトウェアなどのプロダクトを製造・販売したり、システム構築を請け負ったりするビジネスモデルに課題があるからだと言われている。事実、メインフレームからPCまで手掛けたものの、爆発的に売れるものがなくなり、SIから収益を稼ぎ出す事業構造になった。そこからどんな未来の姿を描けるのだろう。
その状況を打開するために作成したのが、2020年中期経営計画(2018年度から2020年度までの3カ年計画)だった。現社長の新野隆氏が中心になって取り組んだもので、藤川氏も議論に参画した。具体的には、NECの強みを生かして、将来の柱となるビジネスモデルを創り出すこと。強みとは、AI(人工知能)エンジンや顔認証、セキュリティの技術で、それらをより強くするためにデジタル化されたデータが重要なことも分かってきた。
だが、データを持つのは金融や製造、サービスなどのユーザー企業だ。そこで、NECは“イネブーラー”という顧客を支える立場から、自らプレーヤーになることを決断した。自らビジネスを立ち上げる手もあるし、ユーザー企業との合弁会社を設立する手も考えられる。ターゲットの市場もいろいろあるだろう。
NECが選んだのは、約20年間にわたり研究開発に取り組み、実績を上げてきた創薬事業だ。2019年4月に「医薬品、医薬部外品、試薬その他の化学製品の製造及び販売……」などと定款に加えた。実は、2016年12月には創薬開発を手掛けるサイトリミックを設立し、機械学習と実験を組み合わせて新薬候補の物質を発見するNEC独自のAI技術「免疫機能予測技術」で発見したペプチド(アミノ酸を数個から数十個結合した分子)や、山口大学などとの共同研究で発見したがん治療用ペプチドワクチンの実用化に向けて、治療用製剤の開発や非臨床・臨床試験を実施する。薬の有効性を確認できたら、製薬会社に知財を売る。そんなビジネスモデルになる。
進む道はAIを駆使したパーソナライズな商品開発
NECは創薬事業に本格参入するため、バイオテクノロジーの仏Transgeneと組んで、個別化がんワクチンの共同開発と臨床試験を実施することにした。多くのがん患者に効くワクチンではなく、NECの独自AI技術を使って患者の一人ひとりに効果のあるものを開発する、いわばパーソナライズされたサービス商品のようなものといえる。そんな薬の開発プロセスにおいて、進化するAIエンジンは欠かせない。NECの技術力を生かせるところになる。
プロジェクトには、機械学習の一つであるグラフベース関係性学習エンジンの開発に携わる欧州研究所の研究者や免疫専門家、医学知識を持って技術を製品化するエンジニアなど十数人が参画する。もちろん、パートナーもいる。Transgeneやサイトリミックに加えて、共同研究に取り組む高知大学や山口大学、がん治療向上を目指す国際コンソーシアム「TESLA」、資本出資する医療ITベンチャーの米BostonGeneなどだ。既にTransgeneと治験薬の共同開発に入り、欧米で臨床試験も開始する。
こうしたユーザー企業との新規ビジネスの共同開発、合弁会社設立に動き始めるIT企業は増えつつある。SIビジネスによる成長が見込めない中で、新しいビジネスモデルの創出が喫緊の課題だからだ。NECのビジネスイノベーションユニットの初代担当だった新野社長ら経営トップも、次の柱候補として創薬事業をポジティブに見ているという。
だが、IT企業がユーザー企業の事業領域に入ることに懐疑的な見方もある。NEC社内でも「飛び地的な発想のイノベーションと見ており、自分たちには関係はない」(藤川氏)と、無視する社員もいるそうだ。それでも、藤川氏は「私の中では、突拍子ないことを言っているつもりはない」と、デジタル時代におけるパーソナライズなサービス商品の提供は進む道と考えている。
新規ビジネスへの投資の仕方や人事評価なども作ってきた。創薬事業以外も検討する。その一つが農業になる。2015年にカゴメと協業し、ポルトガルのトマト圃場でITを活用した農産物の収穫量増加や栽培効率化などの実証実験から、将来の収穫量や収穫時期などの正確な予測が可能になったという。この収穫の効率化を図るソリューションを、農家に提供することから、自ら野菜などを栽培したり、支援する農家と収益をシェアする。そんなNECの強みであるAI技術などを生かした新しいビジネスを見つけ出す。そこに活路があるのだろう。
- 田中 克己
- IT産業ジャーナリスト
- 日経BP社で日経コンピュータ副編集長、日経ウォッチャーIBM版編集長、日経システムプロバイダ編集長などを歴任し、2010年1月からフリーのITジャーナリストに。2004年度から2009年度まで専修大学兼任講師(情報産業)。12年10月からITビジネス研究会代表幹事も務める。35年にわたりIT産業の動向をウォッチし、主な著書に「IT産業崩壊の危機」「IT産業再生の針路」(日経BP社)、「ニッポンのIT企業」(ITmedia、電子書籍)、「2020年 ITがひろげる未来の可能性」(日経BPコンサルティング、監修)がある。