1994年には、Linuxをお金にするにはLinuxのインストールCDを39ドル95セントで売るしかなかったが、2016年には、Red HatがLinux企業として初めて20億ドルの売上高を達成するまでになった。しかしこの頃に、同社は長期的な目標をLinuxからクラウドへと転換している。
この記事では、Red HatがCDを発送していたところから、Linux界のトップ企業、そして主要なクラウド事業者の1つに数えられるまでの存在に上り詰めた道のりを振り返る。その上で、今やIBMの子会社になった同社がどこに向かっているのかを考えてみたい。
Red Hat Linuxの始まり
Marc Ewing氏は典型的なハッカーの1人で、ノースカロライナ州のローリーにある自宅から、自分のLinuxディストリビューションをCDに焼いていた。同氏は後にそのディストリビューションを「Red Hat」と名付けたが、これは同氏の祖父が持っていたコーネル大学の赤いラクロス帽子にちなんだもので、同氏はカーネギーメロン大学で技術アシスタントを務めていた時代にこの帽子を被っていた。
Red Hat Linuxは、最初のLinuxディストリビューションだというわけではない。その栄誉は、1992年に登場した「Manchester Computing Center(MCC)Linux」に与えられるべきものだ。その後、「Softlanding Linux System」(SLS)、現在も生き残っている中で最古のディストリビューションとされる「Slackware」、そして「Debian Linux」が次々に生まれた。
根っからのLinuxマニアでない限り、今挙げたディストリビューションのうち、Debian以外を知っている人は滅多にいないだろう。またDebianを知っている人であれば、このディストリビューションが商用ソフトウェアであったことは一度もないことを知っているはずだ。もしEwing氏がBob Young氏(当時は形にならない大きな夢を抱えた若き起業家だった)と出会っていなかったら、Red Hat Linuxも同じ運命をたどっていたかもしれない。
CDの発送からサーバーやサービスの販売へ:Young氏はSlackwareのCDを販売する事業を始めたが、そこで終わるつもりはなかった。そこで、Young夫人の裁縫道具をしまうクローゼットで事業を始めた2人は、Red Hat Linuxを生み出した。創業からしばらくは大変な時期が続いた。
Young氏は、「私はハードウェアの売り方は知っていたが、ソフトウェアについては知らず、われわれは誰も賛同しないコンセプトを売っていた」と認めている。同氏らは当初CDを販売していたが、その後サーバーとサービスを売り始めた。「われわれは文字通り顧客を1つずつ訪ねて回った。その状況に特効薬はなかった。われわれは夜遅くまで頑張って働いた」と同氏は言う。
しかしYoung氏は、LinuxはUNIXよりも優れているとも、高速だとも、機能が多いとも言えない一方で、ある1つのメリットがあることに気づいた。ユーザーはLinuxを自分たちのニーズに合わせてチューニングできたのだ。それがLinuxの売りになった。