成果報告を無くした理由の1つに、試験導入の振り返りをする際に社員から出てきた「会社で働いているときには求められないのに、なぜ在宅勤務のときだけ求められるのか」という問いもありました。
会社にいるときには、帰る際に今日何をしたかの日報程度は書くかもしれませんが、作成した資料などをいちいち報告しないでしょう。しかし在宅勤務だとそれが求められる――。それは「信頼していない」証拠ではないか、というのがその問いの本質といえます。
成果報告のルールを設けた背景は、在宅勤務は“福利厚生”ではなく、“社員の生産性向上”が目的であるため、業務効率を測るために設けた1つの仮ルールという位置づけでした。
しかし試験運用中に業務効率の低下した事実は少なく、社員の声のように信頼関係に基づいた運用の方がお互い気持ちよいと思ったため、このルールは無くなりました。
疑いや性悪説前提でルールをつくると、とても息苦しいものになります。PCのカメラで在宅勤務中の様子を見られるようにしている事例もありますが、それは顕著な例で、そういうことは本来誰もされたくないものです。
そこで私たちは、在宅勤務の権限を上長に委ねる運用にしました。「この人の在宅勤務は生産性低下につながっているのでは」と少しでも懸念があると、その旨を本人にフィードバックする。改善されないようであれば、本人の在宅勤務を認めない。つまりリモートワークは「上司やチームメンバーからの信頼のもとできる制度だ」という運用にしました。
「さぼっていると思われたくない」は誰でも思うからこそ、「その分しっかり仕事する」と思っています。逆にさぼった場合、在宅勤務禁止どころか、「周りの信頼」も失います。これは挽回するまでに時間がかかる、プライスレスなものと言えるでしょう。
「信頼」を運用のキーワードとすることで、「さぼっているのでは」「さぼっていると思われたくない」という両者の懸念を無くしたのがサイボウズのやり方だと言えます。
制度をつくるときはルールを考えることが必要。しかし、運用においてはルールに基づくだけではなく、制度本来の「目的」に合っているか、「信頼関係」、つまりコミュニケーションが必要になります。
このコミュニケーションを怠ると制度はどんどんルールだけの形骸化したものになります。大変な面もありますが、コミュニケーションをさぼらないこと。これがリモートワークの快適な運用で一番大事なことになります。
すべてを「ルール」で考えようとすると、制度は上から押し付けられた、現場にとって面倒なものとなりやすいです。ルールとコミュニケーションによる信頼関係のバランスが、リモートワークだけでなくあらゆる制度に求められることなのかもしれません。
(第4回は12月にて掲載予定)