例えば、アメリカの合衆国憲法修正第4条は、正当な理由のない捜索や押収から市民を保護している。捜査を行うには、裁判官によって発行される令状が必要だ(犯罪番組で見たことがあるかもしれないが、たとえ犯罪の証拠が見つかっても、令状なしに押収された証拠は法廷で破棄される可能性がある)。
しかし、修正第4条が保障する「身体・家屋・書類・所有物」の権利は、通話などにも適用されるのだろうか? インターネット利用時のデータ、購入したものの記録、指紋やゲノムコードも、あなたの所有物なのか? それとも、それらを保管しているサーバーの所有者に属しているのか? または、アルゴリズムを抽出して処理する企業に属しているのだろうか?
デジタルデータの所有はすでに複雑だ。利用規約などを読んでみると、購入したソフトウェアやアプリ、音楽データ、電子書籍などは、紙の本などと同じように所有していないことに気付かされる。
あなたは、ダウンロード、または表示するためのライセンスを購入しているだけで、出版元やディストリビューターはこれを取り消すことができる。今日楽しんでいる曲や本が明日になったらデバイスから消えているかもしれない。
自分で作成するデータであれば違うと思うかもしれないが、多くの場合、さらに悪い条件が用意されている。写真に面白いフィルターをつけるためにインストールするアプリは、できた画像に対するすべての権利を所有していると言い、あなたが作成した画像を広告に使用すると主張する可能性もある。
許可なく画像が使用されていると訴えれば、使用許可する旨をアプリの利用規約に追加しただけで済まされる。長い利用規約をすべて読んでから「同意する」をクリックする人は少ないため、有効な弁護も難しくなる。
オンラインでの写真共有やソーシャルメディアの時代に育っていない筆者のような人間にはグレーゾーンに思えるかもしれないが、今の世代の人々にとっては、データを売るか、同意をしない限り、自分のデータは自分のものだと考えるのは当然のことである。
筆者の十代の娘は、自分のデータが世界中のあらゆる場所に送信、保存されていることを知っているが、データ自体は彼女のものであるべきと考えている。これは健全な考えだが、問題はそれをサポートする法的枠組みを作ることである。
1928年、アメリカの最高裁判所は、歴史的な裁判であるOlmstead対連邦政府について判決を下し、権利に関する法律がテクノロジーに遅れをとる場合があると示された。5対4の判決で、最高裁判所長官のWilliam Taft(元大統領でもある)は、令状なしで被告の電話を盗聴しても、憲法修正第4条は物理的捜索にのみ適用されていたため、違反しないと主張した。
Olmsteadの助けにはならない判決だったが、判事のBrandeisの異議はTaftの多数意見よりもはるかに大きな影響力を持つようになった。James Madisonが憲法修正第4条を制定した当時、電話はまだ発明されていなかったが、令状なしで封書を開封するのと同じだとBrandeisは主張した。Brandeisは次のように述べた。
「政府がプライバシーを侵害するための手段はより巧妙で広範囲に及んできている。発見と発明によって、政府は本棚に手を伸ばすよりもはるかに効果的な手段で、クローゼットの中でささやかれていることを法廷で開示できるようになった」
今日明らかになっているように、政府による監視はテロ対策を口実に、同意の有無にかかわらず、公共の場でのビデオカメラやソーシャルメディアなど無数の方法で追跡されている。
今になって考えれば、盗聴の対象がプライバシー保護の対象にならない理由として、電話回線によって容疑者の自宅や事務所は全世界とつながっているため、自由に公衆に放送していたようなもの、とTaftが述べていたのは少し馬鹿げた根拠のように思える。われわれが常に地球全体とつながっている今日、われわれの権利は、テクノロジーの範囲に合わせて拡大されなければならない。