現実世界の問題を解決できる規模の量子コンピューターの実現--それは、多くのコンピューター科学者にとって月着陸に匹敵する偉業であり、何十年に及ぶ研究の末に達成される最終目標であり、新たな時代の幕開けを告げるものでもある。
企業にとってこれは、古典的なコンピューターではそれまで手に負えなかった業務上の問題をものの数分で解決できるようになるという点で、巨額の富を手にするチャンスの到来を意味している。また研究室で働く科学者にとってこれは、人の命を救う薬剤の開発に向けた研究が加速されるという希望を意味している。
しかし暗号研究者にとって、それは終末の日、しかもかなりバッドエンドな終末の日となるはずだ。大規模な量子コンピューターの計算能力をもってすれば、現時点でプライベートな音声メモから政府の機密情報に至るまでのほぼすべてのデータを保護しているセキュリティプロトコルが実質的に無力化してしまうほどの脅威が生み出される。
既にリサーチャーらの手によって、公開鍵暗号システムを理論的に破れる量子アルゴリズムが開発されている。
提供:IBM
意図された受信者以外には理解できない形式にデータを変換するという今日用いられている暗号化手法は、本質的には膨大な計算量を要する数学的な問題が基礎となっている。古典的なコンピューターでは現実的な時間内に解を得られない数式があったとしても、量子コンピューティングの力を用いれば解が得られる。つまり、どれだけ慎重に暗号化されたデータであっても、明瞭な元のデータに復号することができる可能性があるのだ。
問題の核心は公開鍵暗号方式というプロトコルにある。ある人物から別の人物に送信するデータを暗号化するために用いられるこのプロトコルにより、送信されたデータを復号できるのは受信者のみとなることが保証される。つまりこの方式では、同じアルゴリズムによって生成され、数学的に深い関係にある一対の公開鍵と秘密鍵を用意し、公開鍵を公にする一方で、秘密鍵を秘匿することになる。
公開鍵は公にされているため誰でもが使える。このため送信側は、受信側が用意し、公開している公開鍵を用いてデータを暗号化する。これにより、該当データは受信側の秘密鍵を用いなければ復号できないようになる。この方式でセキュリティが守られる理由は、公開鍵からその対となる秘密鍵を導き出すことが困難だという事実に基づいている。というのも、この問題を解くには膨大な桁数の数値を扱わなければならないためだ。
困ったことに、量子コンピューターが得意とする処理の1つに、計算量が莫大となる数値計算がある。素粒子という極小粒子が持つほとんど超自然的とも言える振る舞いを利用すれば、いつの日か量子デバイスは今日のスーパーコンピューターで何年もかかる計算をあっという間にこなしてしまうようになると考えられている。
これは、今まで困難だとされてきた数学的難問に依存しているセキュリティシステムにとって悪い知らせだ。エジンバラ大学情報学部でセキュアな通信を研究しているNiraj Kumar氏は「古典的な公開鍵暗号システムのセキュリティを支える根幹の前提は概して、量子レベルでセキュアなものではない」と述べた。
「これらの鍵に対する量子攻撃を考えた場合、システムはもはやセキュアではなくなり、壊れているということが示されている」(Kumar氏)