筆者はソーシャル「メディア」を、本来のより優れた形式として、個人を互いに結びつけるソーシャル「ネットワーク」とは区別している。わずか数年の間に、より多くの人々がニュースを手にしている一方、その多くがいかに歪められているかを考えると、彼らの「ニュース」とは、Facebookを素早くスクロールして得られたものと考えられる。
もちろん、テレビやラジオでフェイクニュースが拡散しない訳ではなく、当然あるのだが、ソーシャルメディアの循環的なフィードバックシステムは、他に類を見ない二極化をもたらしている。
友人や家族も周りにいるため、そこにはパーソナルな雰囲気が存在する。また、テレビやラジオ、通常のウェブサイトでは不可能な方法で、個人の参加を奨励し、メリットを与えている。さらに、陰謀論とは、人々が単なる傍観者ではなく、参加者であると感じた時に最も拡散するのだ。
国家的な問題に関して、誰もが自分の意見を表明できることで、党派的な分断が浮き彫りとなり、人々は踏み絵を強いられる。多くの研究から示される点として、学校、犯罪、医療など、地域の個人的な問題に関しては、譲歩によって解決策を見出す意欲がはるかに高くなっている。
これは実際のところ、「スキン・ザ・ゲーム(自らリスクを取る)」理論と呼ばれるものだ。われわれの多くは、国家的・国際的な問題のほぼすべてについて、強い意見を持ってはいるが、こうした問題がわれわれに及ぼす直接的な影響については、軽微であることを認めざるを得ない。
もちろん、だからといって重要度が低い訳でも、こうした大きな問題に積極的になるな、という訳でもない。すなわち、地域の問題とは、コンセンサスとコミュニティーを形成し、党派的な幻想を打破して、ヒューマニティを共有するのに適した場所となる。そして、こうした共感と問題解決の思考を、大きな問題にも取り入れていくことが目標だ。
民主主義のアップデートに乞うご期待
Avastの筆者のコラムでは何度か触れているが、脅威と武器は、新たなテクノロジーのライフサイクルの初期に現れるのが常である。開発に時間を要し、本当の意味で完成することのない、進化する規格やセキュリティの層に比べると、破壊やエクスプロイトは容易である。ソーシャルメディアがメールと同様に武器化されたことも、公共の利益と民間企業に必要な利益との間でバランスを見出すことが困難なことも、驚きではない。
古い制度に応急処置を施すことは、必要であるものの、それだけでは十分ではない。われわれの政治システムを刷新する意欲的な新計画を立ち上げて、瞬時の対応を求めるテクノロジーの需要に取り組まない限り、極端な主義主張や崩壊による悪循環は今後も続くだろう。
人々が何を考え、何を気にかけ、何を必要とするのか、それを瞬時かつ詳細に特定し、対応できるというソーシャルメディアのプラスの側面を、われわれは見習う必要がある。そして、結果につながる譲歩を促すため、地域の課題を重視すべきである。利害関係者があまりにも多く、民意などほとんど反映していない、旧態依然とした政党政治から、われわれは脱却すべきである。
新しいテクノロジーを理解し、新しいシステムや社会に組み込むことは、終わりのない試行錯誤のプロセスである。悪用できる欠陥や脆弱性は数え切れないほどあり、悪用したがる人材が不足することもない。最新のテクノロジーの危険性は、メリットに比べて明白なことが多く、教育あるいは政治などの重要なテーマの場合、われわれはどうしてもリスク回避傾向が強くなる。
しかし、真実はその逆である。『The Economist』の記事で示唆した通り、これらの物事は重要すぎて、変えない訳にはいかず、われわれの期待をひどく下回る現状であれば、リスクは避けて通れない。警戒心により、われわれの要求が能力をはるかに上回る場合、驚くべき最新のテクノロジーとそのメリットは、不均等な分配から抜け出せず、危険なアンバランスが生まれてしまう。