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トーバルズ氏が語ったLinux誕生初期やキャリア、Rust採用への考え--Open Source Summit - (page 3)

Steven J. Vaughan-Nichols (Special to ZDNet.com) 翻訳校正: 村上雅章 野崎裕子

2021-10-11 06:30

 Hohndel氏は「私が彼にあるパッチを送付した時のことだが、とても笑える出来事があった。彼は『これじゃうまくいかない』と返信してきたのだ。このため私は愚直に『試してみたのか?』と尋ねてみた。すると同氏は、いいや、読んでみた。オーケー、クールだと返してきた」と付け加えた。Hohndel氏は1991年後半からずっとLinuxのコントリビューターを続けている。同氏がクールだったのは明らかだ。

 その後、Torvalds氏は初めての職を得た。同氏は「Linuxによって必要となった作業の1つは、386のアーキテクチャーと機能すべてについて学習することだった」と回想した。また同氏は、Linuxを通じてさまざまな人とのつながりを得た。そしてx86互換チップ「Crusoe」を製造するシリコンバレーの小規模新興企業(Transmeta)と巡り会った。同氏は、「私は、386の実際の動作方法を本当に理解している極めて数少ない人間の1人だった。多くの人々はある程度の動作方法を知っている。しかしおそらくIntelの社外で、極めて細かいレベルでの動作方法を理解している人物はそうそういないだろう」と述べた。

 このため、同氏は学業を終えていなかったにもかかわらず、1997年にカリフォルニア州ベイエリアに居を移し、就職した。同氏によると、それは「素晴らしいことだった。というのも先延ばしにしていた論文の執筆を片付け、米国に居を構えるための事務作業に取り掛かる唯一のきっかけになったためだ」という。

 なお、Crusoeは技術的には成功したものの、Transmetaは残念ながら同チップから収益を得ることができなかった

 しかし、Torvalds氏は「自分以外のあらゆる人々が3年ごとに転職する」というシリコンバレーのテクノロジー文化が自らに合っていないということを在職中に実感した。同氏は、「私は退屈な人間であり、1つのことを実行したいだけの人間だ。つまり、私は1つのことしか考えられない性格なのだ」と述べた。つまり、その1つのこととは主にLinuxだったのだ。

 このため、同氏は2003年にTransmetaを退社し、The Linux Foundationの前身であるOpen Source Development Labs(OSDL)に参加した。同氏はそこで、ほぼすべての時間を使ってLinuxに取り組むことになる。

 Torvalds氏はそれに満足している。その過程で同氏は多くの素晴らしい友人に出会った。同氏は特に「1991年に出来上がったカーネルに今でもかなりの人々が関わっているという点を非常に誇らしく感じている。文字通り30年前も前からなのだ。Dirk(Hohndel氏)もその1人だ。しかし、当時の人々がどれだけ少なかったとしても、今も複数の人々がいるという事実があり、『そうだ彼がいた。彼はLinuxがLinuxである前からそこにいた』と言える。私はそのこと自体が、このコミュニティーが全体的に素晴らしいものであり続けているのかを示す証であると考えている。そして、それがとても楽しいのだ」と述べた。

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