オフィスという存在は、長きにわたってその意義を問われることがなかった。それはある基本的な前提が成り立っていたためだ。その前提とは、処理するべき情報や、使う必要のあるツールすべてと、チームを1つの物理的な空間に集めることが、知識を基盤とする組織を編成する上で最も生産性の高い手法だというものだった。
しかし、この前提は実際のところテクノロジーによって根底から覆っている。最初の数十年はゆっくりと、そしてここ2年ほどで急速に状況が変わってきている。
書類を閲覧するためにオフィスに出向く必要があるという人は、今やほとんどいないだろう。書類はすべてデジタル化され、クラウド上に格納されているためだ。また、PCを使うためにオフィスに行くという必要もなくなっている。机の上に大きな茶色の書類入れが置かれている時代は(ほぼ)終わっている。さらに、「Zoom」や「Microsoft Teams」の利用が当たり前になったこの2年間で、話し合いをするために物理的な場所を共有する必要がないことも明らかになっている。
あらゆることを自宅で容易にこなせるようになっているのだ。では、時間を割いてオフィスに足を運ぶ理由はどこにあるのだろうか。生産性が向上し、通勤時間が減っている状況にあって、多くのITワーカーが昇進を犠牲にしてでも、好きな場所で作業するという選択をしても不思議ではない。
こういった場合、オフィスの存在意義とは何なのだろうか。
これはそんなに単純な話ではない。在宅勤務を好む人が多くいる一方で、自室で壁に囲まれている状態から脱したいと首を長くして待っている人もいる。また、在宅勤務の方が生産性に優れていると考えている人が多くいる一方で、家事との両立に悩んでいる人もいる。そしていずれの場合にも、燃え尽き症候群になる可能性がある。
そして、作業場所がどのようにして変わったのかという点に着目した議論は数多くあるものの、その場所で作業がどのように変わっていくかという考察はあまりなされてきていない。
「作業」は、その場所が異なれば大きく異なってくるだろう。現在の一般的な言説は、リモートワークが個人のタスクに着目する一方、オフィスワークはチームワークに重点が置かれるというものだ。
しかし、未来の作業形態がより複雑なものになるのは間違いない。一部の人々は人とのつながりと、新たなアイデアのひらめきを得るためにオフィスに向かうだろう。その一方で、集中するためにオフィスに足を運ぶ人もいるはずだ。毎日のようにブレインストーミングをすることなどないはずだ。
この複雑な作業空間の分割によって生み出されるハイブリッドワークへのシフトがもたらすワークフローやチーム力学の混乱を、上司とその部下がどのようにして管理していくのかについてはすぐに明らかにならないだろう。
今こそ、オフィスで実行する仕事と自宅で実行する仕事を切り分けるだけでなく、われわれの仕事生活をどのようにお膳立てしていくのかという根本的な疑問に取り組む時だ。過去2年でわれわれは皆、多くの変化を経験してきている。つまり、自らの作業とオフィスでの生活に関して有効であるものと、有効でないものについて考える時間は十分にあったはずだ。この現実を見据えた場合、オフィスに戻るというのは、単に今まで通りの仕事に戻るということを意味しているわけではないと分かるはずだ。
この記事は海外Red Ventures発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。