中国で普及している「芝麻信用」を覚えているだろうか。阿里巴巴集団(アリババグループ)の関連企業である螞蟻集団(アントグループ)が立ち上げた個人信用評価システムで、同社の電子決済基盤の「支付宝」(アリペイ)に搭載されている機能として、個人情報の登録状況や利用状況など、利用者の信用度をスコア(点数)で数値化したものだ。
監視社会化を進めるためのツールというよりは、クレジットカードが普及していない中国で同様の機能を提供するためのもので、シェアサイクルやシェアバッテリーを使ったり、ホテルに泊まったりする際に、本来はデポジットがかかるところを信用スコア次第で不要になる、そういった用途で普及していった。
芝麻信用の影響を受けたのか、日本でも「Yahoo!スコア」などの似たようなサービスが登場した。芝麻信用と同様に個人情報とサービス利用状況を登録するとスコアが算出され、スコアに応じてさまざまな特典が得られるといったサービスであったが、さまざまな不安や批判の声が上がり、2020年8月にサービスを終了している。
さて、その芝麻信用が久々に動き出した。サービス名は「芝麻先享」(ジーマシェンシャン)。簡単に言うと、信用スコアがある程度高いことを前提に「今買って、後で支払う」というものだ。
Appleは6月6日に開催の年次開発者会議「Worldwide Developer Conference(WWDC)22」で後払いサービス「Apple Pay Later」を発表した。時を同じくして、アントも芝麻先享の正式サービスの開始を発表した。ただ、芝麻先享については、この発表の前の6月1日時点で著名企業がサービスを導入したと報道されていたので、Appleの発表を受けて急いで対応したというよりは、Appleの動きに合わせてアントも既に進めていたサービスの正式リリースを決定したと見る方がよさそうだ。
芝麻先享を導入した企業の事例を幾つか見てみよう。
電気自動車(EV)は中国で普及途上にあり、複数の企業が充電スタンドを展開している。例えば、芝麻先享に対応した充電スタンドであれば、キャッシュレスでサービスを利用して、料金を後払いにすることができる。また、複数の企業が充電スタンドを展開しているため、それぞれの専用アプリをインストールしなければならなかったが、これが芝麻先享と提携することでアリペイから利用できるようになり、専用アプリを用意する必要がなくなる。これは芝麻先享そのものの機能ではないが、EVユーザーにとって大きなメリットになるだろう。
続いて、中国人にとって大きな魅力となるのが、企業の夜逃げ防止だ。中国では、美容院やトレーニングジム、教育サービスなどさまざまな店舗でプリペイドシステムを採用している。例えば、500元で1000元分のプリペイドカードがもらえる、30回分のレッスン代金を前払いするといった形で料金を徴収する企業が多くある。そして、こうした企業がある日突然、夜逃げをして消費者が泣きを見ることも珍しくない。
こうした社会問題に芝麻先享を導入することで、サービスを利用した後に支払いを行うことが可能になり、万一廃業・閉店になってしまっても、消費者はいつでも後払い決済サービス事業者に報告して支払いを停止できるようになる。消費者が主導権を握れるようになるわけだ。
また、お試しサービスを提供するために導入する企業もある。白物家電メーカー大手の「老板」は、中国全土1万カ所の販売店で芝麻先享を導入。同社の食洗器とノンフライヤーに100日間の無料試用期間を設けて、使って気に入ればそのまま買えるようにした。中国では、食洗器やノンフライヤーはまだそれほど普及しておらず、どんなメリットがあるか分からない家庭がほとんどだ。
そこで、まず試用期間を生かして各家庭に設置してもらおうというわけだ。このサービスは信用スコアが650点以上の人が利用できる。なお、同様のサービスは芝麻先享以前からあり、例えば、2018年にはデジカメの「美図」(メイトゥ)が信用スコア750点以上で30日の試用を可能にするキャンペーンを行うなど、メーカー各社がアントと組んで独自の施策を展開したこともある。
TikTokを運営する字節跳動(バイトダンス)のライバル「快手」(クアイショウ)は、ショートビデオアプリのほかに電子商取引(EC)も開始している。快手が芝麻先享と提携することで、商品が届いて問題がないことが判明してから代金を支払うエスクローサービスのような仕組みを実現した。芝麻先享の導入によって、同社ECの利用が大きく増えたという。
芝麻先享の正式サービスが始まり、早速さまざまな使い方が出てきている。返金や返品に応じないといった悪い振る舞いには信用スコアの低下という罰則が発生することから、こうしたサービスを活用したい人々は日々の行動に気を付けて暮らしていくことになる。
- 山谷剛史(やまや・たけし)
- フリーランスライター
- 2002年から中国雲南省昆明市を拠点に活動。中国、インド、ASEANのITや消費トレンドをIT系メディア、経済系メディア、トレンド誌などに執筆。メディア出演、講演も行う。著書に『日本人が知らない中国ネットトレンド2014』『新しい中国人 ネットで団結する若者たち』など。