中国では、あいさつを交わす際に「食事をしましたか」と聞くほど、お腹を満たすことは昔から重要だ。一方で、何でも食べられればいいかというとそうではない。庶民的な食堂ほど繁盛している店とそうでない店に分かれ、その人気を支える料理人がいる。これは中国だけでなく、日本にある中国人向けの本格中華料理屋(いわゆる“ガチ中華”)でも同じだ。チャーハン一つとっても料理人によって味付けが変わり、調理スタッフが入れ替わって突然まずくなることもある。
また、中国料理は地域によって味付けがさまざまである。例えば、西部の四川料理は痺れるような辛さが特徴で、南部の広東料理や福建料理は辛くなく日本人にもなじみやすい。四川省出身の料理人は四川の味付けが得意なように、各地の料理人に得意な味付けがある。逆に四川省などの地域で「辛くしないでください」と頼んでも、「辛くないとおいしくないから」とうまく意図が伝わらず、辛い料理が出てくることもよくある。
そこで、美容室で美容師を指定するように、料理店でも料理人を指定できたらどうか。そんな面白い試みが中国各地で進められている。
中国では「美団」(メイトゥアン)や「餓了麼」(ウーラマ)などのフードデリバリーサービスが普及し、外食業界は競争が激化している。そうした中、まだごく一部ではあるが、杭州や西安、成都といった都市でデリバリー利用時に追加料金を払って調理スタッフを指名できる食堂が登場した。話題作りを狙った仕掛けであり、思惑通りネット利用者の間で情報が拡散された。
食堂のページには料理人の写真が掲載され、「創意工夫の料理が自慢」「心のこもった料理」といった各人の自薦の言葉が並べられており、追加料金を払って指名できる。またある店では料理人ごとに値付けされており、「借金返済のため」「ギターを引きたいから」などと働くきっかけを紹介している。料理人の出身地が分かれば、得意な味付けも想像できる。アプリで確かめてみると、同じ店舗や料理でも料理人によって注文数に何十件も差があることが分かる。
この店によれば、料理人の指名は必須ではないが、この取り組みが功を奏し、サービスを始めた当初は多くの人が食べに来たという。ネットで話題になって利用者がコメント欄にメッセージを残したり、そこで交流したりするようになり、注文量が増加したケースもある。また別の店では、料理人の指名制度を導入した理由について、多くの利用客に既成の料理をただ温めているだけだと思われていたことに気付き、その誤解を払しょくするためだと語っている。
この新しい取り組みが話題になるや、外食業界からは賛否両論の声が挙がっている。
好意的に解釈したある外食の専門家は「特定の料理人に多く注文が集まって人気であるなら、その料理人の能力が認められ、自信になるだろう」としつつ、「こうしたビジネスが本当に実用に耐えられるかどうかが重要であり、コストも考慮する必要がある」とコメントしている。
一方、否定的に受け止めた有名料理店の料理長は「デリバリーのテイクアウトは配達のスピードが最も重要なので、料理人を指名して調理させることはない。注文の入った料理人は忙しく、別の料理人の手が空いていたらスタッフの無駄遣いになる。プロフィールに書かれた料理の腕前を立証する手段がない」と導入には懐疑的だ。
別の有名料理店の料理長も「料理人は作り方や食材を絶えず研究して技術を向上させる必要がある。料理人の腕前を磨く最善の方法は、新しい名物料理を開発して客を集め続けることだと信じている」とコメントした。学習と勤労こそ料理の腕を磨くという考え方だ。
例えば、日本料理店で寿司職人にかつ丼を作らせることで、寿司を握る技術が伸びるだろうか。また、かつ丼の作り方を覚える必要があるだろうか。ネットで話題になれば注文数が増えるかもしれないが、まずければ店の評判を落としてしまうだろう。
料理人とのやりとりを楽しむ利用者がいる一方で、店側の話題作りとして若者の財布をつかもうとしているだけだという評価も多い。今はまだ粗削りの段階だが、より多くの店が取り入れるようになれば、試行錯誤の末、食にうるさい中国人にも納得のいくサービスとなるだろう。
- 山谷剛史(やまや・たけし)
- フリーランスライター
- 2002年から中国雲南省昆明市を拠点に活動。中国、インド、ASEANのITや消費トレンドをIT系メディア、経済系メディア、トレンド誌などに執筆。メディア出演、講演も行う。著書に『日本人が知らない中国ネットトレンド2014』『新しい中国人 ネットで団結する若者たち』など。