山谷剛史の「中国ビジネス四方山話」

中国で急速に進む「DeepSeek」の導入--その勢いの背景を探る

山谷剛史

2025-03-14 07:00

 中国各地の行政や医療などの公的機関が、大規模言語モデル(LLM)である「DeepSeek-R1」の自前システムへの導入を相次いで発表している。その動きは深センや北京といった大都市にとどまらず、中国全土に広がっている。これまでLLM導入の話題はあまり見られなかったが、安価で高品質なDeepSeekは非常に魅力的なのだろう。

 これらの発表が中国中央電視台(CCTV)や新華社通信といった報道機関によって積極的に取り上げられていることから、政府がAIの導入を積極的に推進しようとしている意図がうかがえる。先日行われた全国人民代表大会(全人代)でもAIという言葉が繰り返し登場しており、中国政府がAIを後押しする姿勢を示しているのは明らかである。

 中国の公的機関における導入事例としては、次のようなものが挙げられる。

 北京市豊台区の政府窓口では、職員のPCに「馮小正」というデジタルアシスタントが導入されている。市民からの相談に応対する際、職員が対応や答えに窮すると、従来は専用データベースや関連ウェブサイトで情報を調べていた。しかし、現在は馮小正を呼び出して質問するだけで、詳細な回答を得られるようになった。このような相談窓口での対応は、導入事例としてよく見られるものだ。

 他にも、企業や個人がオンラインで申請書を記入する際に、DeepSeekが情報の整合性を自動的に検証するという利用方法を行っている行政もある。例えば、企業が営業許可を申請する場合、システムは申請者に対して記入漏れのある必須項目を即座に通知する。これにより、不完全な情報による審査ミスをなくせるようになり、結果として申請者が何度も資料を提出したり、職員が人力で確認したりする手間を大幅に軽減できる。

 広東省珠海市では、公的文書の作成、推敲(すいこう)、校正、組版、査読といった処理にDeepSeekが活用されている。他の都市でも、DeepSeekによる公式文書作成アシスタントが政策の解釈や文書の起草、検証を行うという事例があり、これにより重要な情報をインテリジェントに抽出し、公務員が迅速に意思決定を下せるようになるという。同省韶関市では、DeepSeekが市の行政システムに接続され、約8万7000人の公務員が窓口対応での質疑応答や文書作成などに活用している。

 また、前述の韶関市では、DeepSeekを政府機関だけでなく公立病院のスマート医療システムにも接続している。医師は、患者の状態に関する情報や画像データをアップロードすることで、カルテを迅速に作成できるようになった。さらに、患者からのオンライン相談に24時間体制で対応し、健康管理に関する適切なアドバイスを各患者に提供するだけでなく、これまで以上に詳細な体の異常を、正確かつ短時間で発見できるようになったという病院もある。江蘇省無錫市では、DeepSeekを使用して住宅保障や積立金管理などのサービスを最適化し、それを世帯登録、社会保障の照会、医療予約などに適用できるようにした。

 導入は行政窓口や医療サービスにとどまらない。各都市は「都市大脳」と呼ばれるスマートシティーの情報基盤にDeepSeekの導入を進めている。都市大脳というと阿里巴巴(アリババ)本社のある浙江省杭州市が比較的よく報道されているが、導入都市はそこだけではない。多くの都市で導入が進み、交通管理、治安維持、エネルギー、環境などの分野で活用されている。

 都市大脳へのDeepSeekの導入例としては、珠海市では市内の市場動向を把握し、市内での起業を支援している。内モンゴル自治区フフホト市では、DeepSeekを都市大脳に統合することで、自然災害や潜在的な事故などのリスクをリアルタイムに分析することが可能になった。江蘇省無錫市では、交通、環境保護、エネルギーなど、異なる部門間でのデータ統合と共同ガバナンスが実現している。各部門のデータ統合は長年の課題であったが、DeepSeekなどのLLMによって実現が早まりそうだ。多数のデータから必要なデータを抽出できるようになるため、中国式の監視社会は強化され、そこからの逸脱は難しくなるだろう。

 ところで、なぜ1月末の「DeepSeekショック」から1カ月程度という短い期間で、次々と導入が進んでいるのだろうか。例えば、珠海市の都市大脳は中国移動(チャイナモバイル)が手がけており、同市側との密接な連携によっていつでも新しいソリューションを協議できる状況にあった。チャイナモバイルは、将来の技術トレンドを見越して、あらかじめ関連システムを開発していたという。そのため、DeepSeekの導入に当たって、必要な部署の準備やハードウェア・ソフトウェアの対応などをスムーズに行うことができ、迅速に導入を進められたようだ。

 中国では、各都市がそれぞれ異なるIT企業に依頼して都市大脳を構築している。そのため、スマートシティー開発を手がけるIT企業間の競争と、中国国内の都市間の競争という、2つの競争が組み合わさることで相乗効果が生まれ、各地でDeepSeekの導入が急速に進んだと考えられる。

 冒頭で述べたように、CCTVや新華社が後押ししていることから、この流れは続くと考えられ、今後はDeepSeekなどのLLMがどのような場面で活用できるかという、革新的なソリューションに話題が移っていきそうだ。

山谷剛史(やまや・たけし)
フリーランスライター
2002年から中国雲南省昆明市を拠点に活動。中国、インド、ASEANのITや消費トレンドをIT系メディア、経済系メディア、トレンド誌などに執筆。メディア出演、講演も行う。著書に『日本人が知らない中国ネットトレンド2014』『新しい中国人 ネットで団結する若者たち』など。

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