純粋階段とビジネス

飯田哲夫(Tetsuo Iida) 2006-08-12 17:14:16

さて、このブログ、ほとんど最後まで読まれることはない。お会いする方に「いつもブログ読ませてもらってます!!」と言われると嬉しいのだが、話題に上るのは「カレー」だったり「釣り」だったり「胃カメラ」だったりするのである。それは皆さん導入部ですよ導入部!! 本題は、「カレー」から巧みにエンタープライズITの話に切り替わったところから始まるんです。

まぁ、それはよしとして、先日は初めてお会いした方から、「美学校行かれてたんですか?」と変化球が飛んできた。これまたブログの本題から大きく外れ、私のプロフィール(ページ右端下に読めないサイズの字で掲載してある)へ反応したものである。そしてまた、本題には一切触れられることなく、ひたすら美学校の教師であった赤瀬川原平とその有名な芸術概念である「トマソン」で盛り上がってしまったのだ。

そんなことから、ふと「純粋階段」という美しい概念というか物体を思い起こしたのだが、意外にもこの概念、我々のビジネスにも当てはまるなと思ってしまったのだ。(夏休みだし、いつもより更に脱線してみよう。)

純粋階段とは

さて、純粋階段とは、何ら目的を持たない純粋なる階段のことを言う。つまり、どこかへ到達するために存在するわけではない。登った先には壁しかなかったり、登って降りるだけだったり、というのが純粋階段である。ものを見るのが一番早いと思うので、例えばこんなのである。気になる人は、Googleで「純粋階段」と検索してみてもらいたい。結構、収集家が多いことに気付かれるだろう。

しかし、純粋階段は、前衛芸術家である赤瀬川原平の見出した超芸術「トマソン」の1種に過ぎない。超芸術「トマソン」とは、当時(1980年代)、読売ジャイアンツへやって来たゲーリー・トマソンにちなんだ命名である。「扇風機」とか「トマ損」などと揶揄される程に打てなかったことから、無用の長物を保存することを指して「トマソン」と呼んだのが始まりだそうだ。つまり、純粋階段はトマソンの1種であり、他にも無用門、無用窓、ヌリカベなど様々なものがある。

ちなみに、私が美学校に通っていた頃には既に赤瀬川原平は教場に無く、その教えを請うことは出来なかった。が、私も何故かトマソンには心引かれるものがある。しかし、このトマソン、ビジネスでは何の役にも立たない。

身の回りのトマソン

さて、会社に行ってぐるりと見回してみよう。「純粋上司」「純粋部下」「純粋同期」と、意外に世の中純粋な人が多いことの気付いたら、ちょっとまずいかもしれない。また、ITシステムなども、ビジネス環境の変化によって「純粋機能」が徐々に増える。それ以上に、自分の会社のビジネスが「純粋ビジネス」で満ち溢れていたらかなりまずい兆候である。

しかし、トマソンは、当初からトマソンとすることを意図して作られたものでないことに注意を要する。読売ジャイアンツだって、トマソンが「トマ損」だと知っていて雇ったわけではない。また、純粋階段も作った当初は目的、つまり登る到達点があったはずなのである。しかし、何らかの理由でその目的が排除された結果として、純粋階段が残るわけである。

トマソンを排除できるか

では、何故目的を失ったのに階段は残るのか? それは、単にコストの問題だ。純粋階段だって取り除くには金が掛かるのだ。システムであっても、(作りにもよるが)機能を取り除くには金が掛かる。ビジネスであれば、撤退コストと呼ばれるものが馬鹿にならないケースもある。ならば残しておけということになり、後から見ると何で存在しているのか判らないものが生き続けることとなる。

とはいえ、会社が美術館でないことは間違いない。社内に前衛芸術が増え始めたら、要注意。捨てるにも金は掛かるので、要は機会損失と撤退コストのバランスの問題である。ビジネスはイノベーション、トマソンじゃない。残念ながら。

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