こんな時だからこそ実感したリアルタイム コミュニケーションの大切さ

米野宏明(Hiroaki Komeno) 2011-03-25 14:00:00

今回の大震災で直接被災された方々の苦悩に比べればごく些細なことだが、この 2 週間は日頃経験したことのない出来事の連続だった。しかしその中でも、リアルタイム コミュニケーションによる人とのつながりで、ずいぶん救われた。


3.11 地震発生


あの時間、当方は大手町のテクノロジーセンターでセミナー登壇中であった。揺れを感じる 10 秒ぐらい前だっただろうか、緊急地震速報の館内放送が鳴り響く。やがて、やけに長い地震が始まる。しかし、檀上だったこともありほぼ何もできず、背後のスライド式のホワイトボードを右手で、デモ PC を左手で抑えながら平静さを装うのが精いっぱいである。


揺れが続くまっただ中、家族からプライベートの携帯に入電。当方が 「今セミナー中だから」 と意味のない応答をすると、相手も狼狽のあまり 「ああ、そっか」 と答えてあっさり切る。この後通常の電話は軒並みつながらなくなったが、実は当方のプライベート携帯は PHS であり、相手が PHS なら必ずつながった。まだ Docomo が PHS サービスを提供していた当時からのユーザーなのだが、PHS でよかったと思ったのはこれが初めてかもしれない。そして、揺れが収まってしばらくのち、安全のために (ビルがちょっと古いのだ。共用エリアの天井パネルが落ちていた)、お客様にはドリンクスペースで提供しているペットボトルの水を渡しお帰りいただく。


電話は通じなかったが VoIP は止まらなかった


当方もそこで帰ればよかったのだが、他のセッションのお客様が若干残られていたのと、海の近くに移転した本社の様子も気になり、そのまま残ってチャットを始めた。当方がマーケティングを担当する UC 製品の Microsoft Lync の出番である。こういう時 VoIP は強い。一般の電話というのは、固定電話だろうが携帯電話だろうが、原理は糸電話と同じ 1 対 1 の接続であり、回線数を超える同時通話ができない。通常、電話加入者が全員同時に電話を掛けることはありえないので、公衆回線や企業の内線などは、基幹の回線数を少なくして、交換機を使って話す人同士を都度つなぎ合わせているのだ。だから広域の非常時には一斉に通話が発生するためつながらなくなる。しかし Microsoft Lync ならインターネット経由で直接 VoIP にアクセスできるので、公衆回線がだめでも問題ないのである。


プレゼンス情報が緑色で連絡可能になっている同僚何人かを招待して一斉に IM を投げてみた。袖机の引出しがフルオープンになっている以外は大丈夫だとのこと。一安心し自分も帰り支度を始める。しかし時すでに遅し、であった。電車は運休、バスだと何度も乗り継ぐ必要がありルートもよくわからない。もちろんタクシーも捜し歩いたのだが捕まらない。結局自宅から車で迎えに来てもらったわけだが、大渋滞で、帰宅したころには日付が変わっていた。


在宅勤務、しかしモチベーションが上がらない


翌週は社命にて原則自宅待機である。とりあえず打ち合わせはすべて延期を試みる。社内でもお客様でも、予定をそのままにしておくと無理にでも参加しようとされる真面目な方が多い。しかし交通や電力も含めて事態は不透明な中、延期できるものはそうするのが主催者の務めと考えた。どうしても延期できないお客様との打ち合わせが 2 件残ったが、Lync のオンライン会議に切り替えさせてもらった。


さて、地震前から仕事はたまりまくっているわけで、それを全部片づけてしまおう。Windows 7 Direct Accessのおかげで会社のリソースにすべてアクセスできるから、困ることなど何もないのだ。ところがなんだか仕事が手につかない。余震は続き、マスメディアは時系列が崩れた不確かな情報であおり、家族は原発の動向にもうろたえている。さりとてネットも全般的にはアテにならない。このあたりの話は別の機会に書いてみたいと思うが、情報はたくさんあるものの、正しい情報を選別して冷静に判断するのが難しい日々が続く。会社や上司、同僚からのメールも来るが、それも含めて情報を受け止めきれない感じがしていたのである。


テキストだけでも十分気持ちの交換はできる


この手づまり感を崩したのは、同僚とのテキスト チャットだった。別に他愛のない会話だ。お互いの状況を報告しあい、どうしようかね、と相談しただけである。音声もビデオも使っておらず、しかもそこまでメールでやりとりしていた会話の延長に過ぎないし、それによって何かが解決されたわけでもない。しかし、それでやる気が戻ったのである。その後別の機会に音声を使った会議を行ったが、それによってその気分が加速されることはなかった。つまり、インタラクティブな会話が重要であったのであり、テキストか音声か映像か、は関係なかったのだ。


UC (ユニファイド コミュニケーション) を考えるとき、われわれはついコミュニケーションの質に注目しがちである。上質な情報を得るにはテキストでは足りないから声色が分かる音声や表情が分かるビデオを使う。それらの質を上げるために音声やビデオの品質が高いものを欲しがる。しかし、当方が救われたのは、受け取りえる情報の質によるものではなく、お互いの状況を思いやるという行為そのものにあったと思う。本社の同僚も含め当方の状況を思いやってくれるメールは受け取っていたし、当方も同僚やお客様には挨拶として必ずコメントは入れていた。だが、一方通行のメールではだめだったのだ。対話による気持ちの交換が重要だったのである。逆に手段など何でもよく、テキストで十分だったのである。


つながっていることの安心感


もう 1 つ重要なポイントは、常につながっている、ということにある。ふと Lync を見ると、何人かの同僚が緑色でアクティブな状態になっている。これだけでも結構勇気づけられるものだ。常にチャットをしているわけではないので、自宅にいる限りは一人 (もちろん家族はいるのだが責任ある家長としてふるまう必要がある。リーダーとはいつも孤独なものなのだ) である。いつでも連絡できる状態にあることは、実際にはそうしなくても、一定の安心感をもたらしてくれる。


これらのことはあらかじめ理解していたつもりではあったのだが、今回その効果を改めて実感した次第だ。せっかく Lync の製品担当だし、この経験をなんとかうまく伝えていきたいと思っているところである。

※このエントリはZDNetブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および ZDNet編集部の見解・意向を示すものではありません。

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