男・前田智の引退とクライマックスシリーズ

前川賢治(Kenji Maekawa) 2013-10-21 00:00:00

いつかはこの日が来るのは分かっていた。ついに、カープの前田智が現役を引退することになった。前田智がバッターボックスに立った時の迫力というか、相手のピッチャーがビビッてしまうようなオーラが見られなくなると思うと何とも寂しい。カープが強かった時代を知る最後の現役選手であり、無骨で愛想は良くないが、チーム内だけでなく他球団の選手からも本当に尊敬される存在であった。アキレス腱を切ったあの怪我さえなければ、3000本安打は達成していたと思う。

チームも、前田智が引退するシーズンのクライマックスシリーズで、久しぶりのカープ旋風を起こしてくれた。クライマックスシリーズでは試合を重ねるごとに、若い次世代を担う選手たちが、自分達のチームに自信と誇りを取り戻してくれたように思う。来年から新しい世代のカープが楽しみで仕方ない。


 

↑ 自宅のテレビの前で正座してクライマックスシリーズの試合開始を待つ僕

なにしろ、カープのレギュラー選手の年俸を合計しても、クライマックスシリーズで戦った巨人の阿部選手一人の年俸よりも低いのである。十分善戦したと思うし、来年につながるチームの勢いや一体感を感じた。こうなったときのカープは本当に強いのである。

思い返せば、カープが初優勝を果たした昭和50年、僕は10歳の小学生だった。広島の街の盛り上がり方は半端ではなく。優勝パレードにはその年に亡くなった近所のおじさんの遺影を持って参加したものである。広島に原爆が投下され、広島の街には70年間は草木も生えないと言われてから、ちょうど30年目の出来事である。

見事に復興を果たした広島の市民球団が、後楽園球場で巨人を破って優勝したのである。後楽園球場で、巨人の柴田のレフトフライを水谷実雄がキャッチして優勝が決定した瞬間、周りの大人たちがみんな泣いていたことをはっきり覚えている。
生まれて初めて親父を含めた大人の男達が泣いている姿を見た。(次に親父の涙を見たのはおばあちゃんが死んだときである)

昭和50年カープ初優勝のきっかけは、その年のオールスターゲームであったと思う。まさかカープが優勝することなど誰も本気では考えていなかったが、オールスター戦で山本浩二と衣笠がアベックホームランを放ったときに、もしかしたら本当にカープは強いのかも知れないぞ、「ひょっとしたらひょっとするぞ」とファンも選手も思い始めたことで、流れが変わったような気がする。

山本浩二といえば、今ではWBCの日本代表監督にもなるくらい全国区で知られているが、失礼ながらこの学校に野球部あったっけ?と思うような、普通の公立高校である広島県立廿日市高校の出身である。野球では全くの弱小高校に一人だけ馬鹿みたいに打つ奴がいるというエースで4番。しかし、甲子園に出場するのは所詮一人では無理であり、法政大学に入学しても、やらされるのは毎日玉拾いだけという全くの無名選手だったのだ。そこから猛練習の末、いつしか田淵、冨田と共に「法大三羽ガラス」といわれるようになり、ドラフト一位で、やはり弱小球団であるカープの4番バッターとして地元広島に帰って来たのだ。

なんとも物語があるではないか。その山本浩二が優勝インタビューで無茶苦茶に号泣している姿を見たら、いろんな思いがこみ上げて来て、そりゃ、みんな泣いちゃうよな。

僕は、人一倍気が小さいくせに、どうしても「寄らば大樹の陰」とは逆の選択をしてしまう傾向があるのは、小学生のときに経験したカープの初優勝が少なからず影響していると思う。弱小球団であっても、ガッツとチームワークがあれば巨人に勝てるのである。

そういえば、昔々参加した合コンの反省会で、友達から「合コンでカープの話はするな」と忠告を受けたことがある。僕とすれば、相手の女性は興味ありそうに話を聞いてくれていると思ったのだが、友達曰く、完全に退屈そうであったとのこと。合コンではいかに相手に話をさせるかが勝負なのに、自分がカープの話を熱弁してどうするんじゃ。ということで、それ以降、合コンの席でカープを含む野球の話をすることを禁止されたのである。

しかし、今年のクライマックスシリーズでのカープの戦いは、かつての「ひょっとしたらひょっとするぞ」という感覚を思い出させるものがあり、男・前田智の引退と合わせて、誰かに語らずにはいられないのだ。

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前川@ドリーム・アーツ

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