プログラミング・コンテストの審査員

前川賢治(Kenji Maekawa) 2014-10-27 17:00:00

先週末に、岩手県の一関市で行われた「第25回 全国高等専門学校プログラミング・コンテスト大会」の審査員として高専生たちの作品審査に行ってきました。


<開会式>


<審査風景>


<表彰式>

なにしろ審査員という立場は人生初の経験であり、胸につける審査員用のリボンが少し大仰で、なんだか NHK 紅白歌合戦の審査員にでもなったようで少し恥ずかしかったのですが、若者が少し緊張しながらも自分の作品を発表する姿、完成度の高い作品、秀逸なアイディアなど、僕にとってはどれも新鮮で、とても良い刺激をもらうことができました。

さすがに予選を勝ち抜いてきたチームだけに作品のレベルも一定以上ではあったのですが、審査員の先生方が想像以上に厳しい突っ込みをするのには最初少し驚きました。もっとイベント的な要素が強いのかと思っていたので、厳しい突っ込みを受けてドギマギする生徒が少し可哀想でもありましたが、優秀な技術者を世に輩出しようとする先生方の教育的指導というものを垣間見た気がします。教育というのは一朝一夕にはいかない極めて大事なことであると改めて考えさせられる週末でした。

失礼ながら随分と辺鄙な場所にある高等専門学校で、これだけの高等教育が行われているということ自体に日本の教育のすばらしさと底力を感じます。

彼らと同じ年の頃、僕は何をしていただろうと思うと何とも恥ずかしい限りで、そんな僕が大会に参加しているような優秀な生徒にアドバイスするのは僭越すぎますが、自分の実際の経験から先輩としての意見をいろいろと述べさせて頂きました。

書道、茶道、華道、柔道、剣道など、「道」が付くものは、まずは先人の手本を真似ることから始まります。「学ぶ」と「真似」とは同源であるという説もあるらしく、真似から入り、真似を極めていくうちに、その物に成りきってしまい、もはや真似をしようと思わないでもよい境地に達するということのようです。

新聞のコラムに書いてあったことの受け売りですが、能を大成した世阿弥の言葉で「物真似を極めてその物に真に成り入れぬれば、似せんと思う心なし」というのがあるらしいです。

また、吉田兼好は「徒然草」で「悪人の真似とて人を殺さば悪人なり」「偽りても賢を学ばんを賢というべし」と言っています。
最近は多くの親や教師が子供に道徳心を植え付けることについて戸惑うこともあるようですが、この新聞のコラムでは、何も理解できない頃から、偉人の伝記や市井のちょっとした善行をできることから一つずつ真似させていけば良いのではないかと付け加えています。

ソフトウェアの世界においても、高い技術を自分の興味と好奇心のみに使用するハッカーになるのではなく、その技術をどう生かせば誰の役に立って、誰が喜んでくれるかをいうことを明確にイメージして開発を進めることが極めて重要だと思います。

そういう意味では、若い人にとっては、理屈は後回しにして、嫌々ながらでも、とにかく良い習慣や善行を真似させる「ソフトウェア開発道」いう人道の修業も必要ではないかと思います。
もっとも、僕の場合はいまだに日々悩み、迷っているのが現実で、人の手本となる境地には程遠く、「ソフトウェア開発道」の家元として君臨するのは完全に無理で、むしろ自分自身の数多くの失敗の経験から、悩み方や迷い方のアドバイスができるぐらいのことでしかありませんが。

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前川@ドリーム・アーツ

※このエントリはZDNetブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および ZDNet編集部の見解・意向を示すものではありません。

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